子ども時代は 遊びに夢中になって
遊び友だちとの交わりに喜び
青年期と中年期は 世俗の付き合いと金もうけに没頭し
老年期は あれもこれも手に入れていなかったと後悔し
いい歳をして神を黙想することもなく
いまだ金銭を欲しがる
かくして人は 貴重な人生を無駄にする
(テルグ語の詩)
なぜ無為に過ごして時を無駄にするのか?
失った時間を取り戻すことはできない
手遅れにならないうちに 目を覚ましなさい
未来の胎内に何が宿っているのかを知る者はいない
(テルグ語の詩)
愛の化身である皆さん! 学生の皆さん、少年少女の皆さん!
もし、無益なことをして時間を無駄にするなら、皆さんは何のために人間として生まれたのでしょう? 皆さんにはどんな運命が待ち受けているのか、よく考えたことがありますか? 時間は人生の土台をなす要因です。人は人生における時間の大切さをよく理解すべきです。時間を無駄
にしてはなりません。「時間を無駄にすることは人生を無駄にすること」です。ですから、自分は時間を無駄
にしていないか、心の中で真剣に考えてみてごらんなさい。もし、少年時代の貴重な時間を無駄
にするなら、いつ皆さんは自分を救うために尽力できるでしょう? 人間として生まれたからには、自分自身を救うことを考えるべきです。ですから、子どものころから時間を正しく使うようにしなさい。
良い行いをしなさい
人は、生まれてから死ぬまで、この世というカルマブーミ(行為の場)でカルマ(行為)をしなければなりません。実際、人生はカルマを行うために与えられているのです。それゆえ、私たちは生涯さまざまな行いに従事します。けれども、自分の行いがよかったかどうかを考える人はほとんどいません。高尚で、時間を費やす価値のある行いだけをするようにすべきです。そうして初めて、人生は意味のあるものとなります。実のところ、人生の目的は、良い行いをし、良い思いを育み、良い行動をとって、初めてかなえることができるのです。「バガヴァッド
ギーター」は、人にあるのは行為をする権利のみであり、行為の結果に対する権利はないと教えています。
人はカルマによって生まれ、
カルマのために、生き、死んでゆく
カルマは永遠不滅なるもの
カルマには始まりも終わりもない
(テルグ語の詩)
人がなした行為にはすべて、結果が伴います。良い行いには良い結果
が、悪い行いには悪い結果が待っています。これは永遠の法則です。皆さんがマンゴーを食べれば、必ずマンゴーのにおいのするげっぷが出ます。ライムのにおいのするげっぷは出ません。それと同じように、皆さんの考えは食べた食べ物の種類に左右されます。「頭に浮かぶことは食べ物しだい」であり、「神を思えば神になる」のです。このように、食べ物と頭と神はお互いに密接に結びついています。悪い考えが神の悟りにつながることはありません。ですから、人はいつも崇高な良い思いを育むようにすべきです。もし、子どものころからサトウィック(純粋な)フードを食べ、サトウィックな思いを育むなら、皆さんの一生は順調に運ぶでしょう。ですから、自分の食べる物と頭(考えや思い)に注意しなければなりません。もし、人間としての皆さんの一生を神聖なものにしたいなら、鳥や獣や動物のように生きてはなりません。人として生まれたならば、人間に値する行為をしなければなりません。人は人間として振る舞わなければなりません。そのためには、人間的価値を育むべきです。人間的価値とは何でしょう? 人間的価値とは、サティヤ(真理)、ダルマ(正しい行い)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)、アヒムサー(非暴力)です。人は、日常生活の中でこの五つの価値を育て、実行したときにだけ、人間と呼ばれる権利が与えられます。人間の気質は、サトワ
グナ(浄性の特質、純粋で穏やかな性質)、ラジョ グナ(激性の特質、激しい性質)、タモ
グナ(鈍性の特質、怠惰な性質)というトリグナ(三つの属性)の組み合わせです。不幸なことに、今日、人類の中でラジョ
グナとタモ グナがひどく支配的になっています。サトワ グナはきわめて希少なものになってしまいました。そのため、今、もっとも重要なのは、サトワ
グナを育み、浄性の行いをするよう人々に教えることです。そうすれば、人々はサトワ(純粋)な状態に達することができます。
サトウィックフードはサトウィックな思いを育む
愛の化身である皆さん!
皆さんは今、幼年期の段階にいます。幼年期はサトワ グナを培うのに適切な時期です。今後の人生の質は、今、皆さんが培う特質によって決まります。人生の終わりという、霊性修行をする際に肉体が皆さんに協力しようとしない時期に、サトワ
グナを培おうとしても何の役に立つでしょうか? ですから、年少期にこそサトワ
グナを培わなければなりません。もし、人がマーナヴァットワ(人間性)を体験し、ダイヴァットワ(神性)に到達することを望むなら、サトワ
グナは絶対に不可欠です。意識的にサトワ グナを培って、初めて皆さんは浄性の状態に至ります。激性や鈍性の行為に携わることによって浄性の状態に至ることは、決してありません。ですから、年若い時期から浄性の性質を培うようにしなさい。私たちの古の聖人賢者たちは皆、年若く強靭な時期に霊性修行をしました。
愛の化身である皆さん!
私たちは、肉体を維持するために、食物としてさまざまなものを食べます。けれども、自分が食べる食べ物が、好ましいものかどうか、自分のためになるものかどうかを調べる人はいません。いつもサトィック
フード(浄性の食べ物)を食べるようにしなさい。浄性の食べ物を食べることで、浄性の思いを育むことができるようになります。さらに、浄性の思いを育むことによって、浄性の行いをすることができるようになります。
ですから、皆さんは浄性の食べ物だけを摂るべきです。皆さんは時折、浄性の食べものなど手に入らないのではないか、と疑問を抱くかもしれません。私はこの考えにまったく同意できません。皆さんは野菜や青菜をたくさん食べていませんか? 実際、皆さんは、お母さんのお腹から生まれると母乳や牛乳で育ちます。牛乳は浄性の食物ではありませんか? 野菜と青菜と牛乳の菜食では生きられないのですか? 決してラジョ
グナ(激性の特質)やタモ グナ(鈍性の特質)を助長する食べ物を食べてはいけません。なぜ、自分の味覚の命令に応じて、食べ物に香辛料やスパイスを加えなければならないのですか? そうした味覚のための材料をだんだんと減らしていって、初めてサトワ
グナ(浄性の特質)を育むことができます。親には、子どもに浄性の食べ物の有効性を教え、幼少期からそれを習慣づけるという大きな責任があります。反対に、もし家庭で親が肉や魚の入った激性や鈍性の食事を作って出すならば、どうやって子どもがサトワ
グナを伸ばすことを望めるでしょうか? 子どもたちは、激性と鈍性の食物を摂ることをやめ、親に浄性の食物のみを要求すべきであると、私は考えます。人は浄性の食物だけを食べる習慣を意識的に養うべきです。こうした浄性の習慣を身につけて生活を送って、初めて私たちは浄性の特質を育むことができるようになります。つまり、霊性の道における進歩は、浄性の食物を摂って初めて可能なものとなるのです。
良い仲間は良い性質を伸ばす
愛の化身である皆さん!
私たちの感覚はすべてトリグナ(三属性)に左右されます。同様に、トリグナは摂取する食物に左右されます。ですから、もし、浄性の食物を食べ、浄性の行いをし、浄性の友人と行動すること、を始めるなら、皆さんは必ず自分を浄性の人間に変容させることができます。皆さんの悪い性質はすべて、悪い仲間と間違った食事のせいです。もし、皆さんが良い性質を育てたいなら、浄性の食事を摂って、良い仲間をもたなければなりません。若いときに浄性の友人をもち、ずっとその仲間と行動をともにすることが、絶対に必要です。良い友だちといっしょにいると、良い思いを抱くようになる、と言われています。
良い友は無執着へと導き、
無執着は人を迷妄から解き放つ
迷妄からの脱却は不動の心をもたらし
不動の心は解脱を授ける
(サンスクリット語のシュローカ)
親愛なる学生の皆さん!
もし、年少のころから、怒り、激情、妬み、嫉みなどといった悪い性質をもつようになったら、全人生は台無しになってしまうでしょう。皆さんはそうした悪い性質で心を汚しています。年少のころから浄性の食物を食べ、浄性の振る舞いを身につけ、浄性の人たちと交際しなさい。これが子どもと学生の皆さんへの私のアドバイスです。学校や大学に入るとすぐに、今の子どもは悪い仲間に加わり、それからずっと悪い仲間と行動しているのを、私はたびたび目にします。その結果
、子どもは悪い性質をもち、悪い振る舞いをするようになります。「君の仲間を言ってごらん。そうすれば、君がどんな人かを言い当てよう」。多くの場合、学生たちは、年長者や両親、先生や社会に対する自分の態度に微妙な変化が生じたことに気づきません。良い学校で勉強しているのだから、自分は正しい道の上にいると、学生たちは思っています。学んでいることは良いことかもしれませんが、学生たちのハートの中心は悪い仲間のせいで汚されています。年少のころでさえ、心(マナス)にはさまざまな悪い考えが浮かんできます。人々はしばしばそれを、若いから自然なことだと考えます。私はこの考えにはまったく賛成できません。これは決して自然なことではありません! まったく不自然なことです。悪い食べ物を食べているから、悪い思いが浮かぶのです。ですから、まず悪い食べ物を断ちなさい。私を信愛する者は、良い仲間に加わらなければなりません。けれども、皆さんは悪い仲間に加わって、その結果
、悪い思いを生じさせています。いったん心に悪い思いが入り込んだら、それを追い出すことはだれにもできません。ですから、心に悪い思いが入り込む前に、良い思いを育てなければなりません。
愛しい子どもたちよ!
自分の子どもの将来を気遣うことのない親もいます。そうした親は、仕事が忙しすぎるか、子どもの振る舞いを管理する能力がないかのどちらかです。けれども、もし皆さんが正しい道を歩むならば、皆さんの両親はとてもうれしいでしょう。反対に、皆さんが悪い仲間と付き合い、悪い習慣を身につけ、結果
として行いが悪くなれば、両親は深く悲しむでしょう。加えて、両親はだれにもその悩み苦しみを分かつことができないでしょう。ですから、皆さんの第一の義務は、両親を幸せにすることです。もし、両親を幸せにしたいなら、正しい道を歩むべきです。人生には、思いと振る舞いと結果
、という連結した三つの側面があります。思いのとおりに振る舞いは生じ、振る舞いのとおりに結果
は生じます。もし、皆さんが悪い思いを心に抱くなら、良い仲間をもつことは不可能です。先生たちは自分の生徒が良い人格であってほしいと思っています。生徒たちが悪い仲間と付き合い、よくない種類の食物を食べ、悪い思いを抱くなら、どうやってそれが可能になるでしょうか? そのような状況下では、結果
はつねに悪いものとなります。苦い食べ物を食べていて、どうして甘みを味わえるでしょうか? よくない食べ物は悪い思いの原因です。
決して悪い本を読んではなりません
学生の皆さん! 少年、少女の皆さん!
皆さん方全員が正しい道を歩むべきです。たとえ皆さんの両親が、何らかの事情で、家で激性や鈍性の食物を作って出してきても、皆さんは、「お母さん!
もし、お母さんが私に激性や鈍性の食べ物を出すなら、私には悪い思いしか浮かばないでしょう。それは良い行いをする助けにもなりません」と言って、そのような食べ物の悪影響を説明し、両親を納得させなければなりません。また、家族全員に浄性の食事を作る必要性についても納得させなければなりません。皆さんは浄性の食物を摂るだけでなく、良い本も読むべきです。決して悪い本を読んではなりません。悪い本は悪い思いを生じさせます。皆さんの一生は、良い食べ物と、良い思いと、良い仲間にかかっています。善良で、信心深い人たちと交際しなさい。気高い魂をもつ人々は皆、善書を読み、気高い思いを育みます。
親愛なる学生の皆さん!
皆さんは、低俗な小説や物語といったくだらないものを読むべきではありません。そうした駄
作は、皆さんに悪い思いを生じさせ、心(マナス)を汚します。図書館に行ったときは、皆さんが良い性質と良い思いを育む助けとなる、偉人や高潔な人々の伝記を読むべきです。幼い心が汚れ、悪い思いが増殖する一つの原因は、さまざまな類の低俗な書物を読むことにあります。実際には、良い思いや悪い思いの原因は、もっぱら心にあります。そのため、「Manaeva
Manushyanam Karanam Bandhamokshayo」(心は人の束縛と解脱の原因である)と言われているのです。残念ながら、今日では、悪い書物だけが評判になってしまいます。悪書は若者たちを誘惑する要素を備えています。良書は希少なものとなってしまいました。そうした優れた本はどこで手に入るのかという疑問がわいてくるかもしれません。道徳と人類の霊的向上に取り組んでいる団体の良い図書館に行きなさい。列車やバスで旅をしている人々が、駅のプラットホームやバスの停留所で入手できる無益な本を買って夢中になって読んでいるのをよく見かけます。そのような人たちは、退屈しのぎにそれらを読んでいるのだと言うかもしれません。彼らはそうした本がどれほど有害で、悪い思いを生み出し、心を汚染しているかを理解していません。ですから、皆さんはつねに、良い思いと良い人格を育む本を選ばなければなりません。人格はもっとも大切です。
愛の化身である皆さん!
もし、皆さんが良い思いと良い振る舞いを養いたいなら、良い本を読まなければなりません。今日、多くの学生は、安い値段で手に入る低俗な文学作品を読むことが流行であると考え、その結果
、彼らの中に低俗な考え、低俗な振る舞いが生じています。彼らは無料で配られる本や駄
作を追いかけます。彼らには、そうした本が良いものか悪いものかを判断する識別
力が、悲惨なくらい欠けています。とはいえ、彼らは自分の心が完全に汚染されてしまったあとで、自らの行為の結果
を実感することになるのです。その時では道を引き返すには遅すぎます。良い思いと良い振る舞いは、良い本を通
してのみ養われるのです。
親愛なる学生の皆さん!
この三日間に皆さんに教えるべきことは他にもたくさんあります。それらは、皆さんが高潔な思いを育み、正しい道を歩めるようにしてくれるでしょう。
(バガヴァンは「ハリ バジャナ ビナ スカ シャーンティ ナヒン」のバジャンで御講話を終えました)
訳注:
(1)マインドのこと
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