サイババの御言葉

日付:2006年11月23日・場所:プラシャーンティ ニラヤムのサイ クルワントホール
81歳御降誕祭における御講話

社会への奉仕は神への奉仕


子どもが母親の胎内から出てくる時、
その首に花輪は着けられていない
真珠でできた宝飾品や光り輝く金の飾りも着いていない
エメラルドやダイヤモンドのような宝石をちりばめた首飾りもない
けれども、首には一つの花輪がかけられている
ブラフマーがその子の過去の行為の結果をつなぎ合わせて重い花輪を作り、
誕生の時にその首にかけるのだ

(テルグ語の詩)

愛の化身である皆さん、学生の少年少女の皆さん!
 人間がどれほど幸運であるかを言い表すことは不可能です。「Jantunam nara janma durlabham」(あらゆる生物の中で、人間としての誕生はもっとも稀有(けう)なことである)。人は人間であることの価値を理解できずに、世の中の束の間ではかないものの姿に惑わされています。人間の生命の基盤は、束の間のはかないものではありません。地上においての人生は、道徳的、倫理的、霊的価値の統合です。実のところ、人間は神の写しです。「Mamaivamsho jivaloke jivabhuta sanathana」(生あるものすべての内なる永遠のアートマは私の存在の一部である)。あなたがたは皆、私自身の一部であり、私と別個の存在ではありません。人間であることの価値を理解することができないために、人は多くの迷妄のえじきとなります。あなたの知識と熱心な努力はすべて、この真理を悟ることに注がれるべきです。この根本的真理を悟った後には、あなたは他には何も必要としません。人間にとってこの世の物質的な富は束縛の原因であり、束縛されている限り人は苦しまなければなりません。それゆえ、人はこの束縛からの自由を獲得すべく努めるべきです。執着という感情を取り除くべきです。何一つ「私のもの」、「(なんじ)のもの」はなく、すべては一つです。すべては一つであるという思いを、あなたの心〔フルダヤ〕の中に培いなさい。そうした時にのみ、あなたは真理と平安と至福を体験することができます。

愛の化身である皆さん!
皆さんの生活は野心と欲望に満ちています。皆さんは、人生の成就を得るために適切な努力を払っているかどうか、自問しなければなりません。まず、あなたの思いと感情がどのようなものかを知るために、自分の心〔フルダヤ〕を調べなさい。思いと感情が純粋か、定まっているか、無私であるか、欲望に汚されていないかどうか調べなさい。欲望は、人生という旅において大きな負担となる荷物のようなものです。荷物が少なければ、より快適になり、旅は楽しくなります! それゆえ、自分の欲望を徐々に減らしていきなさい。荷物が少なくなれば、あなたはもっと安らかになるでしょう。これに反して、今日の人間は、荷を軽くする代わりに、欲望という荷物を増やしています。

ここに何万人もの人々が集まっています。頭の数は多くとも、気持ちは一つです。「Ekatma sarva bhutantaratma」(一なるアートマは、あらゆる生物の内に在る)。肉体への執着のために、皆さんは非常に多くの苦しみをこうむっています。皆さんは今は一人です。学校教育を終えて良い仕事を得たのち、皆さんは結婚しようとするでしょう。そうして、皆さんは二人になります。一本の腕輪を着けているときは、音はしません。二本の腕輪を着けたときのみに、音が生じます。結婚すると、皆さんは浮き世の取得物を望むようになります。子どもをもうけ、家族が広がっていくでしょう。この種の「発展」によって、どうやって平安を得ることができるでしょう? こうした世俗的な執着はすべて、惑わされた思考の結果です。これらに実体はありません。思いと感情が正しい方向に向いていなければ、皆さんは苦しむことになります。浮き世の生活で動きがとれなくなるよりも、社会への奉仕に従事すべきです。

いったん奉仕の道に進めば、皆さんの問題は次第に減っていくでしょう。すべてを愛し、すべてに奉仕しなさい。だれをも別の人間であると考えてはなりません。他人と自分は一つであるという感覚を育みなさい。全人類は一つです。皆さんがこの世で見るものは、一つの実在の反動と反映と反響にすぎません。いったんこの真理を理解すれば、皆さんは平安になるでしょう。そうして初めて、皆さんの心〔マナス〕は、安定し、集中して勉学と仕事の追及に向かうでしょう。それゆえ、真っ先に社会への奉仕に従事しなさい! 社会とは何でしょうか? 社会はあなた自身の反映です。ですから、社会から離れてはなりません。つねに社会へ奉仕し続けなさい。なぜ神はあなたに手を与えたのでしょう? 手は、紙に何かを書くために与えられたのではありません。手は、神への奉仕に没頭しているべきです。仕事は礼拝です! 義務は神です! 自分の義務を果たしなさい!

愛の化身である皆さん!
今、皆さんは若く、皆さんの手足は健康で頑丈です。まず肉体、次が感覚です。感覚よりも高貴なのは心〔マナス〕であり、理知は心より高貴です。アートマがもっとも崇高です。アートマの原理を理解して黙想するなら、あらゆる苦しみと束縛から解放されます。心の悪用こそが、すべての苦しみと束縛の原因です。

あるとき、この肉体〔ババ〕の母親であるイーシュワランマが井戸に水をくみに行きました。すると突然目まいがして、「私はあなたの肉体に入る」という天の声を聞きました。イーシュワランマは恐怖に襲われ、幽霊か、霊魂か、天使か、いったい何が自分の肉体に入るのかわからずに戸惑いました。すると、ふたたび天の声が聞こえました。「私は世界の幸福のために、あなたの肉体に入る」。

「イーシュワランマ」という名前は、この肉体の母親が誕生した時に付けられた名ではありません。その名前は、この肉体の祖父であるコンダマ・ラージュによって付けられました。コンダマ・ラージュは、私が子どもの時から私の神性に気づいていた気高い人でした。コンダマ・ラージュは、彼女がイーシュワラ〔シヴァ神〕の母であることがわかり、イーシュワランマ〔シヴァ神の母〕という名に改めたのです。イーシュワランマは月並みな女性ではありませんでした。だれからも愛され、称賛される崇高な精神をもつ人でした。どこに行っても、人々はイーシュワランマを大きな愛で迎えました。

カラナム・スッバンマは有徳の人でした。スッバンマは村でたいへん尊敬される地位にありました。時が経つにつれ、スッバンマの中で大きな変容が起こりました。スッバンマは、私のダルシャンを受けにやって来た帰依者全員に食事を用意しました。どんな料理を作ったときも、スッバンマはそれをスワミのために作りました。当時、私はほとんど家にいませんでした。私は近くの丘や谷を徘徊(はいかい) していました。スッバンマはたくさんの料理を作って弁当箱に詰め、私がどこにいようとも私を捜しに出かけました。スッバンマのスワミへの愛はとても強いものでした。ドワーパラ ユガにクリシュナを産んだのはデーヴァキーでしたが、ヤショーダーはクリシュナの母と呼ばれる大きな幸運を得ました。これと同じように、スッバンマはこの時代において、それに類する大きな幸運を得たのです。

あるとき、カラナム・スッバンマは、サティヤナーラーヤナ ヴラタを執り行いました。スッバンマは、イーシュワランマにもそれに参加するよう招待しました。イーシュワランマがそのサティヤナーラーヤナ ヴラタのプラサーダム(神聖化された供物)を食べた後に生まれたために、私にサティヤナーラーヤナという名前が付けられたのです。生まれたばかりのときから、人々は私を、並の人間ではなく、偉大な神の力に恵まれた超越的な存在であると見なしました。私が子どものころ、よく村中の子どもたちが私を取り囲みました。私は一人ひとりに何が欲しいか尋ねました。子どもたちはそれぞれ何か、鉛筆やペン、お菓子やハッカ(あめ)などを欲しがりました。子どもたちが何を要求しても、私は何も入っていない自分のカバンから、それを取り出しました。私は一銭も持っていませんでした。頼んだ物を受け取ると、子どもたちは、なぜ私がそれらの物を与えられるのか不思議がりました。私の母親がそれらの物を与えることはあり得ません。なぜなら、彼女もお金を持っていなかったからです。ある日、私はカバンを置いて家に入りました。これを絶好の機会だと思った子どもたちは、カバンをくまなく調べました。彼らはありきたりの少年ではありませんでした。カバンの中に何か隠されていないか確かめたかったのです。しかし、入念に調べても、ピン一本見つけることはできませんでした。それで、子どもたちは、そうした物はすべて何か未知なる源から出てきたのだということが、よくわかりました。子どもたちはあっけにとられました。このようにして、私は子どものころから、いつも少年たちに囲まれていたのです。

私の名前は次第に遠くまで広まりました。そのことが一部の人たちに嫉妬心を生み出しました。人々の嫉妬をものともせず、私の名前と名声は世界の隅々に広まりました。世界の多くの国から、さまざまな信仰を体現する人々が、大勢プラシャーンティ ニラヤムを訪れ始め、自分たちの祝祭を祝うようになりました。もうすぐ十二月です。クリスマスが近づいています。世界中からキリスト教徒がここに集まって来て、クリスマスの祝祭を祝います。同じように、イスラム教徒もプラシャーンティ ニラヤムにやって来て、イスラム教の祝祭を祝うための私の許可を願いました。あらゆる信仰をもつ人々が、ここで自分たちの祝祭を祝うために、プラシャーンティ ニラヤムを訪れています。私がいつも皆さんに言っているように「すべては一つ」なのです。

宗教は多いが、目的地は一つ
衣服は多いが、織り糸は一つ
宝飾品は多いが、金は一つ

(テルグ語の詩)

同様に、多くの生き物が存在しますが、内在するアートマは同じです。けれども、争いを引き起こすある種の人々がいます。スワミの名前と名声が広まったために、多くの人々が嫉妬するようになり、デマを流しています。最近、ロンドンで集会が開かれ、その会でスーリー元空軍大将は、そのようなデマをすべて否定しました。その集会で、スーリーは批評家たちに、直接サティヤ・サイ・ババのもとへ行き、自分で真実をよく見、体験してから意見すべきである、と言いました。スーリーはさらに、この種のゴシップに耳を傾けないよう、そして、それについて話を始めないよう求めました。他人の言うことに耳を貸すことで何が得られるでしょう? うわさ話を広める人々は、自分では何も見ておらず、体験もしていません。にもかかわらず、デマを流し始め、それが多くの国々に流れました。デマはインドにも届きました。インドの新聞社の中には、事実を確かめもせずに、外国の新聞をまねて、そうした誤った記事を載せたところもあります。実のところ、そうした批評家たちは、自分が話すことを信じていません。それでどうして他人の言うことが信じられるでしょう? 彼らの唯一の目的は、不正手段によってスワミの名誉を傷つけることです。しかし、だれであれスワミの名誉を傷つけることは不可能です。

現在だけでなく、将来のいかなる時においても、だれもスワミの名を汚すことはできません。すべての人が、いつかはスワミの愛に降伏しなければならないのです!(大喝采) スワミの名は永遠不変です! 人は何でも好きなことを話すことができます。骨のない舌は、いかようにも曲がります。石は、実のなった木だけに投げられます。高潔な人々は皆、実のなった木のように、多くの試練と困難に遭います。けれども、固く真理に従うなら、だれもその人を揺るがすことはできません。どんなに大勢の人であろうと、真理に挑ませてみなさい。決して彼らが勝つことはありません。それゆえ、何があろうとも、断固として真理を守りなさい。真理を守る人は必ず勝利を得ます。ですから、決して真理を捨ててはなりません。

だれが神でしょうか? 真理が神です! 真理は揺るがし得ないものです! 「Sathyannasti paro Dharma」(真理を固守することよりも偉大なダルマはない)。人を平安に導くのはダルマです! 平安がなければ人は生きられません! 聖者ティヤーガラージャは言いました。「平安がなければ幸福は得られない」。平安を獲得すれば、愛と至福を体験するでしょう。真理は至福の源です。非暴力もまた、真理から生じました。愛にあふれる人には、暴力という考えさえ浮かぶことはありません。サティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)、アヒムサ(非暴力)は、人間の五つの生気のようなものです。これらはもっとも重要な人間の性質です。今必要なのは、これらの人間的価値を育むことです。これらの価値が育まれた時のみに、国家に平和が訪れます。今、どこを見ても、人々の中に際限のない欲望が見られます。

人間の試みにおけるどの分野をとってみても、人の欲望には際限がありません。読書にさえ際限がありません。人々は年がら年中本を読んでいます。あらゆる種類の本を読むのは、単なる時間の無駄です。もし、本があなたに自己満足を与えないのであれば、読書が何の役に立つでしょう? 机上(きじょう)の知識は生計を立てるのに役立つだけです。バーラタ文化は、道徳と倫理と霊性を説くことを強調しています。しかし、わが国の現代の著述家たちは、この三つの原理を無視しています。広範囲におよぶ学識があるにもかかわらず、真の進歩が見られないのはこのためです。

おお、人間よ! 自らの学識を誇ってはならない
もし神に礼を捧げないなら、
信愛を込めて神を思わないなら、 すべての学識は無益となる

(テルグ語の詩)

それゆえ、人は神への愛を培うべきです。もし神への愛を持っていれば、あなたはすべてを得るでしょう! 神への愛がなければ、すべてが無駄に終わるでしょう! 神への愛はメインスイッチのようなものです。もしメインスイッチを消せば、他のスイッチは機能することができず、光は得られません。いったんメインスイッチを入れれば、どのスイッチを押しても光は得られます。

人間らしさは、人間のもっとも重要な特質です。母イーシュワランマは、豊かな人間性を備えていました。イーシュワランマの思いはすべて、つねにスワミに集中していました。ブリンダーヴァンで夏期講習が行われていました。イーシュワランマは朝食とコーヒーを摂り、食後にキンマを噛んでいました。突然、イーシュワランマは「スワミ、スワミ、スワミ」と三回叫びました。私は「今行きます、今行きます、今行きます」と言いました。すぐに私が階下に行くと、イーシュワランマは最後の息を引き取りました。イーシュワランマは、まったく苦しむことなく、安らかな死を迎えました。肉体は、そこに生命があるうちは価値があります。いったん生命が絶たれてしまえば、肉体は丸太同然です。イーシュワランマの遺体は私の指示によってプッタパルティに移され、葬儀が行われました。多くの人々が、私も葬儀に行くべきであると言いました。しかし、私は行きませんでした。私には肉体への執着はありません。肉体への執着は大きな束縛です。ひとたび自分の肉体を神に託せば、強情な諸感覚も力を失い、あなたは束縛から自由になるでしょう。人生にはいくらかの浮き沈みがあるでしょうが、いったんあなたが神に全託すれば、何事にも心を乱されることはなくなります。

愛の化身である皆さん!
皆さんが学ぶことを期待されるものは、何であれ学びなさい。社会でよい評判を得なさい。皆さんの両親は、皆さんに大きな期待をしています。両親の大望をかなえるべきです。「Matru devo bhava. Pitru devo bhava, Acharya devo bhava, Atithi devo bhava」(あなたの母、父、師、客人を、神として敬いなさい)。皆さんが自分の母、父、師、客人を幸福にしたなら、神は皆さんにさらに大きな幸福を与えるでしょう。あなたのすべての知識は、神への愛がなければ役に立ちません。皆さんは若さに満ちあふれています。よく勉強して、社会でよい評判を得るようにしなさい。これが、皆さんに私が期待することです。私は皆さんに単なる高学歴を得てほしいのではないのです。世界には、高い教育を受けた人々が大勢います。しかし、そうした人たちは、世界のためにどんな良いことをしたでしょうか? 皆さんは、懸命に働き、他の人々を幸福にすべきです。社会を幸福にしたときのみ、皆さんは人生の成就を得るでしょう。カラム〔A・P・J・アブドゥル・カラム第11代インド大統領〕は高い教育を受け、社会への奉仕に専心しています。社会に対して可能な限りの奉仕を行いなさい。それだけが、スワミを幸福にするでしょう。

昨日、ラーム・セーティーは、アメリカに帰りたくないと言いました。彼は余生をここでスワミへの奉仕に捧げたいと望んでいます。彼の息子は、父親と同じくらい立派です。息子も医者です。息子はラーム・セーティーに、父の望みを邪魔したくはないと言いました。スタジアム〔前日に開館したシュリ サティヤ サイ国際スポーツ センター〕は、ラーム・セーティーと妻と息子と娘の惜しみのない施しで建設されました。ラーム・セーティーは所有物をすべて売り払い、このスタジアムの建設にその全額を寄付しました。彼はおおいなる犠牲の人です。彼はスタジアム建設のために4億ルピーを寄付しました。どれくらいの人が、これほど気高い犠牲の精神を持つことができるでしょうか? 一人の物乞いにすら何も与えずに追い払うこの時代に、この家族はとてつもなく大きな犠牲を払いました。ラーム・セーティーには息子一人と娘一人がいます。それでも彼はそのような大金を寄付したのです。彼の息子も娘も、世俗的な楽しみには興味がありません。彼らの唯一の目的はスワミに従うことです。

平安と幸福は霊性にあり、それ以外にはありません。皆さんは、勉強し、結婚し、子どもをもうけ、幸せな人生を送るかもしれません。それには何の間違いもありません。しかし、決して神を忘れてはなりません。神を忘れなければ、皆さんはどのような道でも歩むことができます。これが、皆さんへの私の祝福です。世界の隅々にサイの神聖な御名を広めなさい。それはすべての人に内在する神性の顕現をもたらすことになるでしょう。スワミに近づけば近づくほど、皆さんの内なる神性が表出してきます。その結果、皆さんの人生は神聖になるでしょう。

世俗的な喜びは真の意味での喜びではありません。今日、皆さんは喜びを享受するかもしれませんが、明日は苦しみを経験するかもしれません。息子が生まれた時は幸福かもしれませんが、息子に何らかの災難が降りかかって死んだ時には、悲嘆に暮れるでしょう。皆さんは、ある日は微笑み、別の日には涙を流します。幸せと悲しみには、わずかな()があるだけです。人生のすべてのものは、束の間のはかないものです。「Ma kuru dhana jana yauvana garvam, Harathi nimeshath kalah sarvam」(おのれの富、子、若さを誇ってはならない。時の流れは瞬時にそれらを滅するだろう)。

学生の皆さん!
皆さんが長生きして、幸福な人生を送りますように! 社会に奉仕しなさい。社会への奉仕を神への奉仕と見なしなさい! 社会への奉仕のみが、皆さんに平安を授けてくれます。

(バガヴァンは「ハリ バジャナ ビナー スカ シャーンティナヒ」のバジャンで御講話を終えられました)。

 

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:http://www.sssbpt.org/Pages/Prasanthi_Nilayam/81stbirthdaydiscourse23.html



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