サイババの御言葉

日付:2007年1月30日・場所:ティルヴァンミユル、チェンナイ
アティルッドラ大供犠祭最終日の御講話より

神我の知識を得なさい


おお、人よ!
人はただ空腹を満たすためだけに日々並々ならぬ努力をしている
人は様々な分野の数限りない種類の知識を得ている
神を忘れ、夜明けから日暮れまで、
世俗の知識を得ること、富を得ることにすべての時間を費やして、
自分はどれほど大きな幸せを得たかを自問して調べてみよ

(テルグ語の詩)

高い教養を得て、高名を博している人もいるかもしれません。けれども、人間性を忘れていたら、それが何の役に立つでしょう? どれほど高い学歴があっても、人間性がなかったら、それにはわずかな価値しかあません。

知識は人間の真の富

現代人には、ほんのわずかな愛も、思いやりも、犠牲も見られません。これらがなかったら、人間に何の価値があるでしょう? 「あらゆる生類の中で人間として生まれることは最も稀なことである」(ジャントゥーナーム ナラ ジャンマ ドゥルラバム)と言うとき、その真の意味は何でしょう?現代人の努力の一切は、お腹を満たすことに向けられています。誰か社会と世界の福利全体を考えている人がいますか?社会の福利のために努める人が、真の人間です。人類同胞に敬意を払うのは人間として当然のことですが、現代人はそれをしていません。敬われている人々は、その人の世間での地位のために敬われています。誰もハートの清らかさの価値を見る人はいません。ラーダークリシュナンは立派な教師でしたが、彼がもっと尊敬を受けるようになったのは、インド大統領になってからです。現代人が尊敬を示すのは、その人の地位に対してであり、その人の能力に対してではありません。地位は、流れゆく雲のように、来ては去ります。人間性は、清らかで、永遠で、決して衰えません。しかし、人間は、その永遠なる真の本性を認識する努力をしていません。

古代では、母親は子どもに善い習慣を身に付けさせていました。鶏が鳴く早朝に床から起きて、歯を磨き、沐浴をして、神に祈るようにと、古代の母親たちは子どもたちに教えました。それらが済んでからでないと、子どもに朝食を出しませんでした。ところが、現代の子どもたちは、8時といった朝の遅い時間に起きています。9時に起きる子どもさえいます。そして、起きるとすぐに、顔も洗わないでコーヒーや紅茶を飲んでいます。現代人はいつもお腹を満たすことばかり考えていて、自分の人生を祝福されたものにする方法については何も考えません。現代人は、高い学歴を身に付けること、巨万の富を得ることには興味がありますが、犠牲の精神はまったくありません。その反対に、欲望は増え続けています。

ビルを10棟所有している人は、11棟目のビルも欲しがります。何億も稼いだビジネスマンは、もっともっと稼ぎたいと思います。では、彼らはいつ自分の解脱のために精進するのでしょう?人が生まれるのは解脱を得るためであり、人生を無駄にするためではありません。いずれにせよ、人生は続いていきます。人間の真の富は知識です。しかしながら、一番大切な知識は神我の知識です。それ以外の知識は、それがいくら立派なものでも、神我の知識を得ていなければ無益です。知識というのは、自分が知らないことを知ることではありません。自分のハートの気持ちを知るべきです。それが本当の知識です。人は何千万ルピーも稼ぐかもしれませんが、最終的には何も手に持たずにこの世を去らなければなりません。ですから、人は自分の人生をあがなうために努力を払うべきです。神我の知識は、ジーヴァ(人間の魂)がブラフマン(至高の存在)に帰融するのに欠かせないものです。

全世界の平和を祈りなさい

富とお金は入っては出ていきます。しかし、真の知識はそういった類のものではありません。真の知識は入ると成長します。人は、そういった永久に成長し続ける知識を得ようとすべきです。そうして初めて、人は本当に人間らしく生きることができます。現代の人々の中には、どこにも人間性が見当たりません。現代人は本当のことを話していますか? いいえ。人々は口を開けば嘘を言っています。現代人はあらゆる事業において不正に浸っています。それでどうやって平安を得ることができるでしょう? 平安は世間のどこかのお店で手に入るものですか? いいえ、違います。平安は外では見つかりません。平安は、あなたが自分の欲望を制した日に、あなたの内側から生じてくるでしょう。そうして初めて、あなたの中に愛が花開くのです。愛は今もあなたの中に存在しています。愛は決して死にません。どの人の中にも愛は存在しています。ところが、人々は愛を見せかけだけのものにしています。

雲から直接雨水を手に入れることができますか? 人は雨が降ったときにだけ水を手に入れることができます。雲から水を得るためには、適切な祈りが不可欠です。ヴァルナ(雨の神)の恩寵があるときにだけ、人は雨水を得ることができます。神が水を与えるのは世界の福利のためであり、個々人の身勝手な必要を満たすためではありません。皆さんは世界平和を祈るべきです。自分や、家族や、友人の平和だけを得ようという利己的な目的で祈ってはなりません。平和は、「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」(世界のすべての人が幸せでありますように!)という祈りにあります。万物の福利と繁栄のために祈りなさい。あなたの幸せは私の幸せです。あなた方全員が平安に達し、神を黙想するとき、私は平安と至福に満たされます。あなた自身とあなたの家族の平安を望むだけでは不十分です。全世界の平安を切望すべきです。ところが、今の世界には平和(peace 平安)がありません。どこを見ても、あるのは数々の断片(piece かけら)だけです。

愛の化身たちよ!

皆さんは、愛を育て、愛を大きくし、愛を経験し、至福を楽しむべきです。人々が見て、ハートに愛が現れていることがわかるような人が、真の人間です。愛は誰の中にもありますが、あなた方はその愛を実践に移そうとしていません。もしあなたが10ルピー持っていたら、自分にとって必要な額だけをとっておいて、残りは他の人たちのために使うべきです。神の財産を分かち合う権利は誰にもあります。あなたの分け前を正しく使わないなら、あなたは自分の利己心によって身を滅ぼすでしょう。

子どものころから神を黙想することを始めなさい

このアティ ルッドラ マハー ヤグニャが行われているのは、世界の福利のためであり、誰か特定の個人のためではありません。世界は平和であるべきであり、万人が至福を経験すべきです。世界に平和がないとき、どうやってあなたは平安を経験することができますか? ですから、誰もが全世界の平和のために祈るべきです。チェンナイの人たちは、自分たちの市でアティ ルッドラ マハー ヤグニャが開催されたことを、とても喜んでいます。すべての川の源は海であり、川は最終的に海に流れ込みます。それと同じように、アティ ルッドラ マハー ヤグニャは、あらゆる類の幸せ、福利、繁栄、平和の源です。皆さんは、このヤグニャの最中に唱えられているマントラの意味を理解していないかもしれませんが、マントラを聴くことでも至福は授かります。聴いたことをどれもじっくりと黙想し、それを実践に移しなさい。そうして初めて、あなたは平安に到達することができます。もし生まれてから死ぬまで、自分の時間のすべてをお腹を満たすことに使うなら、あなたはいつ自分の解脱のために精進するのですか? もし息を引き取る時まで善行をしないというのなら、いったいあなたはいつ善行をするのですか? あなたがまだ健康で、元気で、手や足腰が丈夫なうちに、善い行いを始めなさい。

このヤグニャに参加したルットウィック〔ヴェーダのマントラを唱える僧侶〕たちは、皆、大いなる信愛と真剣さをもって一連の勤行を行いました。彼らがそうした立派な能力を得たのは、人生の早い時期から練習を始めたからです。皆さんは、ここにいるルットウィックのほとんどが若者であるということが、見てわかるでしょう。彼らはいつこれらのマントラを習い始めたのでしょう? 彼らは幼少時に、パンチャークシャーリー マントラ〔五文字の真言〕である「オーム ナマ シヴァーヤ」を唱えることから手習いを始めました。それと同じ方法で、皆さんも子どものころから神を黙想することを始めれば、善い教師と善い友人を得ることができます。悪い人たちと付き合えば、あなたも悪くなります。「あなたの仲間を言ってみなさい、あなたがどんな人かを言い当てましょう」〔朱に交われば赤くなる〕と言われています。

悪い人たちの仲間に入っていたら、善人になることが可能でしょうか? 絶対に不可能です。善い仲間に加わっているときにだけ、あなたは善人になることができます。皆さんは善い評判を得るべきです。人間は本質的には善良です。人間として生まれたのですから、動物のように振る舞ってはなりません。キーチャカ〔『マハーバーラタ』の登場人物で、夫ある身のドラウパディーに言い寄った悪人〕のように行動してはなりません。皆さんは、キーチャカではなく、アルジュナのようになるべきです。欲望を持たず、ハートの清らかさと愛を持って、人生を送りなさい。利己心を捨てなさい。犠牲〔放棄、断念、ティヤーガ〕とは何でしょう? 手に持っているハンカチを手から放して落としたら、その行為を犠牲と呼ぶことができますか? いいえ、呼べません。あなたは、自分が断とうとしていることが、人の役に立つかどうかを考えるべきです。あなたは、何が束の間のもので、何が永遠のものかを探求し、束の間のものをすべて思い切るべきです。

神聖なマントラに耳を傾け、この連日のヤグニャの勤行を見ることによって、あなた方の人生は聖化されました。あなた方は皆、この場に座って、神聖なマントラを聴いています。この12日間、ルットウィックたちは神の御名を至福の中で唱えていました。私たちは、このような機会を再び得ることができるかどうか尋ねてみるべきです! この場所に来たとき、私は人々が「サイ ラーム、サイ ラーム、サイ ラーム」と、ずっと神の御名を唱えているのを聞きました。そうすることで、人々は自分の信愛の気持ちを表したのです。「サタタム ヨーギナハ」(永久のヨーガの境地に到達すること)。これが真の信愛のしるしです。

自分が学んだことのほんの一部でも実践に移すようにしなさい。そうして初めて、人は自分の人生をあがなうことができます。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sanathana Sarathi July 2007

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