サイババの御言葉

日付:2007年8月22日・場所:プラシャーンティ ニラヤムのサイ クルワントホール
サティヤ・サイ大学ビジネス経営・会計・財務スクール開講21周年記念の御講話

ビジネスで最も重要なのは文化と国


今日の行事は、ビジネス経営・会計・財務スクールの開講記念日を祝うために開かれています。ビジネスとは何を意味するのでしょう? ビジネスとは商取引を意味するのでしょうか? いいえ、そうではありません。実際には、全世界がビジネスにかかわっています。国の首相から一般の労働者にいたるまで、だれもが何らかの類のビジネスにかかわっており、各自の仕事に適した労働システムに従っています。この事実を十分に理解しつつ、私たちの学生たちは生活のあらゆる分野で活躍しています。

決して自分の文化を捨ててはならない

人間には五つの知覚器官が備わっています。五感の働きは、両手両足を使った一種のビジネスでもあります。五感はどれも、それぞれが結びついている両手両足にかかわる最も適した方法で、ビジネスを行います。自分の五感を正しい道に導くことができるよう、五感に適切な指示を与える人が、真の一流です。主に本や経済誌を読んでインドと海外のビジネスを比較して行われるビジネスは、ビジネスという言葉本来の意味においてビジネスと呼ぶことはできません。インドのビジネスは、インドの伝統と価値を考慮すべきです。そして、国の利益と状況を視野に入れているべきです。他の国々は、ただ自国の力を伸ばすためだけに、自分たちの投機的事業ビジネス・ベンチャーに変化を加えています。私たちはそのような方法において諸外国を模倣してはなりません。私たちは自分たちの文化と伝統にかなったやり方を採用すべきです。

ビジネスにおいてお金だけを考慮することには、欠陥が伴います。一番の重要性は文化に置かれなければなりません。文化と共に、国の利益にも高い優先順位が与えられるべきです。真のビジネスとは、文化と国の両方を考慮に入れているものです。今日、人々の中には、今の時代の影響で文化を無視している人もいます。いかなる代価を払っても、決して文化を捨ててはなりません。文化とは何を意味しますか? 私たちは、自分たちのいにしえの伝統と価値を理解し、それに従うべきです。ビジネスの事柄において、決して自分たちの文化を無視してはなりません。文化と国との関係について調べるべきです。文化は国のおかげで存在しています。真の人間性は文化と国との融合にあります。文化は皆さんの世俗的な関係や方法とは無関係です。文化は皆さんのハート心の思いと、善悪を判断する識別力に関係しています。ですから、しっかりとした識別力を育てるようにしなさい。そうした識別心は人間の生活に多くの変化をもたらしてくれます。私たちの文化が衰えをこうむっているのは、識別心の欠落によるものです。そして、文化の衰えのせいで、国は衰弱してしまいました。実に、国民が倣っている間違った文化的習慣こそが、国の衰弱の主な原因なのです。今、人々は自国の文化に従っていません。その結果、政府もまた間違った道を歩んでいます。周知のとおり、今、さまざまな政党が、さまざまな文化的価値とイデオロギーに従っています。もし、共通の目的のためにすべての政党が共に働いたなら、必ずや結果はよいものとなるでしょう。

流行を追うのはやめよ

昔、私が小学生だったとき、ある政党のリーダーたちが私のところに来て、「サティヤ、君はよい詩を書くようだね。我々はブッカパトナムで集会を開く準備をしており、そこには大勢の人々が来る予定になっている。ぜひ、人々を感化することのできるよい歌を作ってくれたまえ」と依頼してきました。それは第二次世界大戦の最中のことでした。ヨーロッパでは諸国を征服するためにアドルフ・ヒトラーが前進しつつありました。ヒトラーはロシアに侵入しようとしていました。インドは当時、イギリス人に支配されていました。こうした状況を考慮に入れて、私はちょっとした寸劇を書きました。寸劇の中で、私はゴム人形を寝かせた揺りかごをやさしく揺すりながら、次のような歌を歌いました。

泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
泣けば、おまえはバーラタ(インドの正式名称)の勇ましい息子とは呼ばれない
お眠り、我が子よ、お眠り
おまえがすくんでいるのは、恐ろしいヒトラーが無敵のロシアに侵入したからかい?
お眠り、我が子よ、お眠り
泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
スターリンのもとで赤軍が前進しているのだから
赤軍はヒトラーに終わりをもたらすでしょう。
さあ、おまえが泣く理由は他に何がある?
国民が一つになっていないから?
全国民が一致団結して、自由を勝ち取るために戦いますよ
お眠り、我が子よ、お眠り

(テルグ語の詩)

私はよく、人々が流行を追うのをやめて気高い思いを育てることができるよう、歌を作って村で子どもたちに歌わせていました。ちょうどそのころ、腕時計が出回り始めました。村で腕時計をした人がいれば、その人は偉いと思われました。それだけでなく、男たちは流行はやりで鼻の下に小さな口髭くちひげを生やしていました。私はそうした流行を歌にしました。

ああ、みんな! ぼくたちに伝わってきたこれらはいったい何だろう!
左手首に革ベルト巻いて
銀メダルをくっつける
そしてこう言う――これが流行はやりさ!
見るに耐えないおかしな格好
そしてこう言う――これが流行さ!
長い口髭短く切って
鼻の下にちょびっとちょび髭
そしてこう言う――これが流行さ!

(テルグ語の歌)

こうした流行を見て、私は男たちに訪ねました。「どうしてそんなふうにしてしまったのですか? 皆さんの口髭は、まるで上唇に二匹のハエが止まってるみたいに見えて、よくありません」 新しい流行はいっせいには広まりません。広まるのは模倣の結果です。人々は他人を見て、他人を真似し始めます。だんだんとそうした物真似が、一定の期間に流行へと変わっていくのです。女性たちの流行の影響を見てごらんなさい! 女性たちは幸運を招くターメリック(ウコン)やクムクム(バーミリオン)を額に付けるのをやめ、ほとんど目に付かないような極小の点を付け始めました。こうした流行はすべて変化し続けます。一つの流行はどれくらい長くもつでしょう? 数ヶ月の間だけです。女性同様、若者や大人たちの流行も短い期間で変化をこうむります。皆さんのだれもがよく知っているとおり、以前、若い人たちの間でベルボトムのズボンが流行になりました。ベルボトムのズボンは、上はぴったりしていて、下はベル(鈴)の形のように広がっています。この流行が続いたのは短い間だけでした。その後しばらくすると、体にぴったりとした筒型のズボンが流行しました。それがよくないとわかると、人々はそれから普通の服に戻りました。このようにして、空に浮かぶ過ぎゆく雲のごとく、時折、数多くの不必要な流行が発生します。私は、人々がそのような流行に飛びつくと、それを正しました。人は人間らしく生きるべきです。

不必要な変更は害

今、教育の分野にも、多くの変化がもたらされています。授業内容に多くの無意味な変更が加えられています。権威者たちがそのような変更を上から推し進めているようです。けれども、権威者たちは、そうした変更を実施する責任者である教師を、育成しているでしょうか? いいえ、まったくしていません。教師が適任でないなら、生徒は何を学べるでしょう? まず第一に、適任の教師が必要です。私たちの大学はそうした適任の教師を育成することに、多大な努力を払っています。教師がよければ、生徒もよくなります。

教育の分野だけでなく、健康の領域でも変更が加えられています。以前、人々は地元の職人の作る陶器の水差しや皿や器を使っていました。その後しばらくすると、ステンレスの器具が陶器にとって代わりました。ところが今は、プラスティックの水差しや皿や器が流行っています。そうしたプラスティック製品は、人を大きな危険にさらしています。プラスティックの袋や製品は、生物分解されない大量のゴミを生じさせます。それらは土に埋めても分解されず、長い間そのままの形で残ります。広大な土地がプラスティックのゴミで損なわれています。そのような土地で育った野菜は人間に有害です。このようにして今、多数の有害な変化が人間の生活に加えられています。ですから、私たちは不必要な模倣と変更に頼ってはなりません。教育の分野においてはなおさらです。

現在を生きることが最も重要

私たちは自国の手法に従い、現在を生きる幸福を味わうべきです。そうして初めて、私たちの未来は幸福なものとなるでしょう。多くの人々が自分の未来を案じています。過去をくよくよ考えてはなりません。未来を心配してはなりません。過去は過ぎたことです。過去は忘れなさい。過去について考えるのはやめなさい。現在(present プレゼント)が重要です。現在というものはいわゆる現在ではないのです。現在は遍在(omnipresent オムニプレゼント)なのです。多くの人々が自分の過去や未来を心配して、自分の現在を駄目にしています。私たちは現在を適切に使うべきです。サティヤ・サイ大学の置かれている環境は田舎の学校のもののように見えるかもしれませんが、ここは学生に自分の現在を適切に使うことを教える唯一の学校なのです。

未来はつねに幸福をもたらすものとは限りません。過去に関して言うなら、皆さんは過去にどれほどの幸福を味わったでしょうか? ですから、現在を幸福に生きなさい。皆さんがお金を失っても何も失われるものはありません。よい性質を得ることが、皆さんのマインドを定めさせてくれます。定まったマインドは、よいマインドです。人の生活に変容をもたらすものはマインドです。親でさえ、自分の子どものマインドを知りません。親たちも同様に、現在を生きるべきです。過去について考えることが何になりますか? 今、私たちの学生は多くの分野で大きな進歩を遂げ、すべての人にとっての模範を示しています。私たちは今、何をすべきでしょう? 今、この格言に従いなさい。「荷物が減れば、もっと楽になり、旅は楽しいものとなる」。一切過去を悩んではなりません。過去について考えても何にもなりません。ですから、私たちは今現在を生き、多方面にわたる進歩を遂げるべきなのです。皆さんは「present プレゼント」という言葉の意味に気づくべきです。この言葉にはどのような意味があるでしょう? 教室にいるなら、皆さんはpresentプレゼント(出席)であり、いないならabsentアブセント(欠席)です。欠席は皆さんの評価を下げてしまうでしょう。人生のあらゆる側面において「present プレゼント」(現在/出席)が大切なのです。

出席すれば、すべての科目でよい結果を得ます。ですから、皆さんのだれもが、「present プレゼント」(現在/出席)についてのみ考えるべきです。今、多くの高齢者が過去の時代の思い出を懐かしみ、「昔の我々の時代はよかった。でも、今は何もかも悪くなってしまった」と考えています。当時、子どもたちは家の年長者を敬い、立派な人間性を備えた振る舞いをしていました。子どもたちは家の年長者を尊び、年長者からよいことを学びました。実際、先生のところに行く必要はありませんでした。家のおばあさんが、子どもたちにたくさんのよいことを教えていました。古代には、すべての人が幸福な生活を送っていました。「Old is Gold オールド イズ ゴールド」(古は金なり)という古いことわざがあります。このことわざのとおりに、昔の時代の人々はまるで純金のようでした。 いにしえの教えによって、古代の人たちは人々が気高い道を歩むのを助けていました。ところが今、私たちはそうした道に損害を与えています。ですから、私たちはそうした損害を修復し、気高い道を再建すべきなのです。

母国を愛し母国に奉仕せよ

今、皆さんがどこに行っても、人々が争い合っているのを目にします。一体性も清らかさも、どこにもありません。どこにでもあるのは憎悪です。だれに出くわしても、相手を怒りの目で見ます。だれかに話をすると、相手はそれに反発することを言ってきます。それゆえ、怒り、嫉妬心、偽善といった悪い性質を追い払うようにしなさい。決してだれをも傷つけないようにしなさい。だれかに痛みを負わせないようにしなさい。つねに助け、決して傷つけてはなりません。何でも一体性を通じて達成することができます。ですから、いつも一体性という気高い道に留まっていなさい。スバス・チャンドラ・ボースは、なぜ国を去らなければならなかったのでしょう? その理由は憎悪以外の何ものでもありませんでした。憎悪はいつ生じるのでしょう? 利己心に襲われたときです。国を去らなければならなかったにもかかわらず、ボースは行く先々で、恐れを知らずに人々を助け続けました。私たちの国は、緊急にこのような気高い人々を必要としています。私たちの教授らもまた言いました。「スワミ、我々の学生はとても善良です。学生たちは社会に数多くのよい変化をもたらすことができます。今、多くの親が子どもを外国に送っています。でも、なぜ親たちは子どもを送り出すのでしょう? そうする代わりに、子どもたちは国内に留まって、地域社会に変化をもたらすことができるというのに」。海外で月に1万ルピー稼ぐ代わりに、バーラタ(インドの正式名称)の中で1000ルピーで満足するほうがよいのです。外国では浄水すら不足しています。生活は困難に満ちています。皆さんの稼ぎの半分は家賃に消えてしまうでしょう。家賃だけでなく、すべてが同じように高額です。一本の小さなバナナが10ルピーもします! 皆さんはそれほど多くのお金をどこから得ることができるというのでしょう? どうやって自分の子どもを育てることができるでしょう? 不可能です! バーラタでは、ご飯とチャツネ(インドのつくだ煮)といった粗食を与えても、皆さんの子どもは喜んで満足するでしょう。自国でのこうしたシンプルな生活を忘れ、人々は外国に行きたがり、あらゆる類の困難に遭っています。

私は、東アフリカ以外、外国を訪れたことは一度もありません。東アフリカにおいてさえ、私はほとんどの時間を森林の野生生物を見ることに費やし、野生動物のよい性質を観察しました。私はそこで象の大群を見ました。その大群は非常に美しく、威厳がありました。私は何頭かの象にバナナを与えました。象たちは喜んでそれを受け取り、もっと欲しがりました。象たちはとてつもなく大きな耳をしていました。象が耳を動かせば、遠くに止まっていた蚊でさえも吹き飛ばされたことでしょう。そこにはシマウマやキリンも数多くいました。動物たちはうれしそうに森を動き回っていました。そうした野生動物が人間に危害を加えることは決してありません。野生動物は、私たちが危害を加えようとして近づいたときにのみ、人間に敵意をもつのです。そのような場合以外は、友好的で、ペットのように私たちになつきます。私はライオンの群れが幼いライオンたちといっしょに一箇所に座っているのを見ました。私たちが間近に接近しても、ライオンたちが憎悪の感情を示すことはありませんでした。このように、野生動物たちはみな、たいへん穏やかな態度で反応しました。皆さんの悪い性質が、動物たちに映し出されるのです。もし、皆さんの思いがよいものであれば、たとえ蛇の隣に横たわったとしても、危害を加えてくることはないでしょう。思いがよいものでないなら、自分が飼っている牛でさえ、角で突いてくるでしょう。もし、だれかがあなたに怒りを抱いているとしたら、その理由は何でしょう? それはあなた自身の思いの反応であり、反映であり、反響にすぎません。人間の悪い性質こそが、動物や鳥や獣の穏やかな本性に変化を生じさせるのです。今日では、同じ母親の産んだ二人の息子の間ですら、憎悪や衝突があります! こうした憎しみ合いの原因は何でしょう? 二人の悪い性質がその原因です。決してそのような性質が入り込む隙を与えないようにしなさい。

神への揺るぎのない信仰心を育てよ

皆さんはよい大学で勉強しています。皆さんのよい振る舞いによって、この大学の名声を守るようにしなさい。もし、自分が名声を得たいのであれば、よい仲間に加わることです。あなたの仲間を教えてくれれば、あなたがどんな人物か教えてあげましょう。あなたの仲間のとおりに、あなたはなります。ですから、よい仲間に加わりなさい。よい仲間との交際は大きな幸運です。それゆえ、皆さんはそのようなよい仲間に加わって、偏りのない善良さを育てなさい。昨日、私たちのMBA(経営学修士)の学生二人がした話は、たいへんすばらしいものでした。二人の話を聴くことは私にとっておおいなる喜びでした。私たちの大学にそのようなよい青年がいるというのは、たいへん喜ばしいことです。この二人の青年は、クラスで一番の成績を収め、金メダルを授与されました。けれども、そうした授与や褒美に満足すべきではありません。皆さんはよい青年になるべきです。金の価値でさえ下がることがありますが、善良さの価値が下がることはありません。ですから、善良さを育て、永遠にとどろく名声を得るようにしなさい。

まず第一に、自信(真我アートマへの信頼)をもちなさい。自信があれば、すべては皆さんにとってよいものへと変わるでしょう。ドゥルヴァ、プラフラーダ、ラーダーといった帰依者たちは、神聖な思いをもって人生を送りました。よい思いを抱いていたために、すべてが自分にとってよいものとなりました。邪悪なヒランニャカシプはプラフラーダにありとあらゆる苦難を与えました。ヒランニャカシプはプラフラーダを象に踏みつぶさせようとしました。プラフラーダはナーラーヤナ神の名を唱え続けました。プラフラーダは決して象を恐れませんでした。プラフラーダは象の中にもナーラーヤナ神を見ました。ヒランニャカシプはプラフラーダを蛇の前に放り投げましたが、プラフラーダは無傷で逃れました。山の頂から深い海へと突き落とされたときには、ナーラーヤナ神が両腕でプラフラーダを抱きとめて助けました。このように、神を信じる者は、決して危害をこうむることがありません。ですから、ひるむことのない信仰心をもつようにしなさい。神への固い信仰はあらゆるタイプの知識をもたらしてくれます。信仰のあるところには愛があります。愛のあるところにはアートマ(真我)があります。アートマには固有の名前も形もありません。同様に、信仰に形はなく、神性もまた無形です。愛は神です。愛に生きなさい。真理は神であり、神は真理です。森羅万象は真理から出現しました。

森羅万象は真理から出現し、真理に融合する
宇宙に真理の存在しない場所があるだろうか?
この清らかでけがれなき真理が目に見えるようにせよ

(テルグ語の詩)

真理を実感認識することが、サークシャートカーラ(神を実感認識すること)です。それゆえ、真理への信仰をもつようにしなさい。疑いなく、人々は信仰心をもっていますが、その信仰は揺れ動いています。信じるとおりに、結果はなります。もし、絶対的な信仰心をもっていれば、結果はすべての側面において必ずよいものとなります。困難に直面すると信仰心を失いがちになります。何を失ってもかまいませんが、信仰心だけは失ってはなりません。信仰心を自分の命と考えるようにしなさい。これぞ、皆さんがたどるべき道です。皆さんは、自分の両親が自分の親であると強く信じています。あなたの両親はあなたの親ではない、と千人の人が言ったとしても、あなたはそれに同意しないでしょう。神に対してもそのような絶対的な信心しんじんをもたなければなりません。神に対する皆さんの信心は絶対的なものであるべきです。皆さんは多くの困難や苦しみに出遭わなければならないかもしれませんが、信仰は固くあり続けるべきです。ラームダースはテフシルダール(収税官)として働いていました。ラームダースはラーマ神に、「スワミ、私がどれだけ税を徴収したとしても、私はそれをあなたへの奉仕として使います」と祈りました。ラームダースは次のように歌いました。

おお、ラーマチャンドラ(ラーマ神の別名)よ!
私は一万枚の金貨を費やして、母なるシーターを金のネックレスで飾り、
もう一万枚の金貨で、あなたの弟ラクシュマナを金のベルトで飾りました
あなたを飾る最高の宝石には、もう一万枚の金貨がかかりました
私の苦労を気にもかけずに、
あなたはまるで、自分のお金でその宝石を得たかのように誇らしげです

(テルグ語の詩)

慈悲深い神は、王の前に姿を現し、ラームダースが着服してしまった金額を支払いました。(その結果ラームダースは監獄から釈放された) やがて、ラームダースは後悔し、こう言ってゆるしを請いました。「あなたが課した試練という苦しみに耐えられず、私はあのようなひどい言葉を吐いてしまいました。おお、主よ! どうかお赦しを!」。

人は神の恩寵という助けによって、人生において何でも成就することができます。絶対的な信仰心をもって神の課すあらゆる試練に立ち向かい、自分の義務を果たすなら、必ず成功します。皆さんは海外の帰依者の信仰の深さを知っていますか? 海外の帰依者の多くは、プッタパルティに来て、小さな宿舎で暮らします。それでも、とても幸せです。ひるむことのない信仰心の結果であるその幸福感を表現することは、だれにも不可能です。もし、あなたにそのような神への強い信仰心があったなら、あなたがどこにいようとも神はあなたの面倒を見るでしょう。

どこにいようとも、神だけが頼り
森にいても、空にいても、都会にいても、村にいても、
山のてっぺんにいても、深い海の真ん中にいても

(テルグ語の詩)

 

不動であるために勉強せよ

何よりもまず、自信をもつようにしなさい。ただ知識を得るだけでは十分ではありません。皆さんの知識が海のように広く、皆さんの常識がヒマラヤ山脈のように莫大だったとしても、もし、識別心を備えていないなら、すべては無益です。識別心があればそれで十分です。どんな仕事であれ、いつも仕事に取り掛かる前に、「これはよいことか、悪いことか? これは正しいことか、間違ったことか?」と問いなさい。もし、識別力という一つの特性を伸ばすなら、人生において向上するでしょう。それ自体が自己実現(真我を悟ること)です。ですから、まず識別心をもつことが重要です。残念なことに、人々は自分の識別心を私利私欲を満たすために使っています。こうした個人的な識別心は、人によって異なるものです。同じ物事が十人十色の見方で見られています。皆さんは、社会全体にとって有益な、根源的な識別力を選ばなければなりません。根源的な識別力だけが自己満足(真我の満足)をもたらし、それが次に自己実現へと導いてくれるのです。ですから、自己実現には適切な識別力が最も重要です。

学生の皆さん! 皆さんはまるで純金のようです。皆さん全員、とても善良です。けれども、人生には、時折、混乱や疑いという波が押し寄せてくることもあります。正道を外れる何らかのことによって、しばしば信仰が揺さぶられることもあります。これらを気にしてはなりません。それらは、やって来たのと同じように去っていくでしょう。何が起ころうと、恐れのない不動の状態を保っていなければなりません。皆さんの勉強は、自分の内に不動心を育てることを意味します。不動であるために勉強しなさい。このことをいつも心に留めていなさい。この二人の青年を見てごらんなさい。何と幸せそうでしょう! 実際、MBAの学生はだれもが善良です。だれかはよくて、だれかは悪いと言うことは不可能です。学生たちの歌もとてもよいものでした。学生たちは、頭がよく、徳が高く、活力に満ちています。彼らはどこに行っても貴重な人材となるでしょう。これほどの青年は、他の人に自分の善良さを分け与えることができるよう、大学に留まって奉仕すべきです。

外国に行って自分の学力で大金を稼ぐことは、ちっともすばらしいことではありません。お金は生じると出て行きますが、道徳心は生じると育ちます。皆さんは道徳心を育てるべきです。道徳心があればそれで十分です。お金で何ができますか? お金を食べることができますか? お金を使って何かを買わないかぎり、空腹を満たすことはできません。ですから、お金は重要でなく、道徳心が重要なのです。まず信仰心、仕事はその次です。皆さんの神聖な文化と愛国心を捨ててはなりません。スバス・チャンドラ・ボースは、他の国々に滞在していたときでさえ、決して母国を忘れることはありませんでした。皆さんは誇りをもって、「これが私の母国です」と公言すべきです。皆さんの国の神聖な文化のイメージを汚してはなりません。幸せでいなさい。

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:Sanathana Sarathi September 2007

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