サティア サイ 海外

       
東アフリカでの神の愛

アフリカはおそらく、地球上で一番美しい大陸です。この大陸は、金、ダイヤモンド、マンガン等の豊かな鉱石の恵みを受けています。また、多くの河、湖、滝等のある手の付かない豊かな土地があります。このように、アフリカは愛に満ちた平和な生活に必要とされる、あらゆる天然資源を有しています。

バガヴァンは東アフリカの人々の祈りに応える

しかし皮肉なことに、そこには愛に満ちた平和な暮らしは見られません。この地球上のすべての人々は、同じ神の種を受け継いでいるにもかかわらず、なぜ階級や信念、肌の色、宗教、性別、社会的地位を基盤にした差別があるのでしょう? そこにいる何億という人々は、人間の尊厳と、人としての権利、平等な機会を求めています。彼らは厳しい貧困の影響を受けた無力な奴隷と化して、不平等な扱いを受け、無視されています。バガヴァン(サイババ)はその大いなる慈愛により、人々の切なる願いに応え、愛と恩寵を与えるために、1968年、東アフリカを訪問されました。

1968年5月17日、ムンバイで開かれた帰依者たちによる第一回世界大会において、世界中から集まった1200人の前で、バガヴァン ババは次のような声明を発表されました。

「この人間の姿は、すべての神聖な実在、すべての神の原理、すなわち、人が神と表現するあらゆる名前と姿が顕現したものであります。皆さんはどのような疑いにも付け入る余地を与えてはなりません。もしあなたが心の中の祭壇にしっかりした信念を持って私の神性を祀るなら、あなたは私の真実の姿を勝ち得ることができるでしょう。反対に、もし時計の振り子のように、時には帰依心を持ち、時には信じないでいると、真理、すなわち至福を得ることは絶対にできません。あなた方は、今、この世で生きている間に、サルヴァ ダイヴァットゥワ スワルーパム(すべての神の姿の体現者)を見るという至福の体験を得ることのできる大変恵まれた環境にいます。」

数日後、海外からの代表たちは、自分たちの国を訪問して下さるようスワミに祈りを捧げました。その中には、オーストラリアのハワード マーフェット氏、ノルウェーのタイドゥマン ヨハンセン氏、セイロン(スリランカ)のナッライ ナータン博士、メキシコのインドラ デヴィ女史、ロサンジェルス(アメリカ合衆国)のチャールズ ペン氏、そして、東アフリカのカンパラ(ウガンダの首都)から来たC.G.パテル博士も含まれていました。スワミはアフリカの人々の切なる願いに応え、翌月に東アフリカを訪ねると宣言なさいました。東アフリカの人々は、この神聖な訪問に対してあらゆる準備を整えました。

ナイロビとカンパラへの旅


1968年6月30日、バガヴァン(サイババ)と随行者たちは、ムンバイのサンタクルーズ空港からボーイング707機に乗り、東アフリカのナイロビに向けて旅立ちました。C.G.パテル博士、マードゥバーへン パテル女史、アトゥール C. パテル博士、そして、彼らの家族がこの訪問のお世話をしました。バガヴァンの一行には、インドからカストゥーリ教授、インドラル シャー氏、サルラ シャー女史、ラージャ レディー氏、そして、アメリカからはボブ レイマー夫妻が含まれていました。スワミは以前、全世界がスワミの邸宅であり、各大陸はこの家の一室であるとおっしゃっていました。アフリカの訪問は、この家の一室を覗き見ることに過ぎなかったのです。アラビア海の上空を高度1万メートル、時速900キロで飛んでいる間、ババはパイロットや乗務員、インド航空の重役や乗客のところに行かれました。すべての人はビブーティの祝福と、サイン、写真、時に応じて物質化されたものを頂くという神の恩寵を得ました。

飛行機の中では、ババはユーモアを持って、座席の前のポケットから絵はがきを取り出し、愛情のこもった言葉を書き、自分の住所のところに「ボーイング707」と書いて、すぐ前の席に座っていたボブ レイマー氏に届けました。返事は同じように絵はがきで戻ってきました。
「空は青く(ブルー)、海もまた青い;私たちの願いは現実(トゥルー)となった。私たちはあなたと共に飛んでいる!」という詩でした。

少したって、ケニヤ山が見えるというアナウンスがありました。私たちにはミルク色の雲海の中に、青色のギザギザの山頂が見えただけでした。その後すぐに、ナイロビのエムバクシ空港に到着しました。現地時間では12時4分前で、私たちの腕時計は午後2時24分を差していました。パテル博士はババを空港の裏にある広場にお連れし、ババはそこに集まった帰依者たちの中を歩いて祝福を授けられました。

ナイロビでは多くのプログラムが企画されており、バガヴァンはダルシャンと祝福を帰依者たちに授けられました。ナイロビからは、ウガンダの首都カンパラに行かれました。それは650キロの行程でした。途中、600メートルの眼下にリフト渓谷が少し見えました。その後、炭酸水の湖、ナクルを見ました。そこでは何人かのアフリカの人と、インド人がババの神聖なダルシャンを受けることができました。ウガンダの政府は賓客の印として、マラバからスワミの一行に先導車をつけてくれました。その後、一行はナイル川がヴィクトリア湖に流れ込む場所であるジンジを通り、午後1時半にカンパラに着きました。そこでは、パテル氏のバンガローの近くに特別に建てたテントの中で、2000人の人々がバジャンを歌いながら何時間もスワミを待っていました。スワミはこの人々に祝福を与えられました。

7月1日の朝、ババは、今まで見たことのないほど多くの人々の前に立たれ、ゆっくりとその中を歩き、一人ひとりに至高の慈愛を降り注ぎ、救いが必要な人々に神の癒しを与えられました。その朝、表敬訪問した人々の中には、ウガンダ陸軍のイディ アミン将軍(後の独裁者)と検察官のオリエマ氏も含まれていました。

7月2日、バガヴァンは多くの病人と障害者に特別なインタビューを授けられました。その中の二人は車いすに乗って行き、帰りは元気な姿で喜びに満ちて戻って来て皆を驚かせました。すべての人がバガヴァンの愛のこもったいたわりと奇跡的な癒しを受け、顔を輝かせて出てきました。

バガヴァンの東アフリカに対する愛のメッセージ


7月3日、バガヴァンはタンザニアのンゴロンゴロ クレーターとヴィクトリア湖の上を小さな飛行機で、朝の7時15分から9時15分まで観光されました。私たちは別の小さな飛行機に乗り、スワミの後をついて行きました。夕方、バガヴァンは2万人が集まったナイロビ国立公園において、初めてのパブリックミーティング(一般に向けた集会)を行い、人々はすべての人類に対する愛と一体性に関する神聖なるメッセージを受け取りました。
スワミは「私はあなた方の心に愛の火を灯し、それが日に日にその輝きを増すのを見るために来ました。私は、例えばヒンドゥー教のような、一定の宗教の講演をしに来たのではありません。私はどんな宗派や原理を広める仕事のために来たのでもありません。何らかの教義に対する信奉者を集めに来たのでもありません。私には自分のところに弟子や帰依者を集めようという計画はありません。私はこの普遍的な一体性の信念、このアートマの原理、この愛の道を皆さんに伝えるために来たのです。」と言われました。

7月5日、パテル博士はババの一行を車でナイロビから200キロ程離れた赤道直下の町、ナニュキに連れて行き、そこで一晩を過ごしました。その日は木曜日で、スワミは私たちに話しておられる最中に、壷の縁までいっぱい入ったアムリタ(甘露)を物質化されました。それは、言葉では言い表せない甘さと想像を超えた芳香でした。スワミは金の匙で、すべての人にそれを与えて下さいました。

7月6日の朝、バガヴァンは専用機でカンパラに飛ばれ、バジャンをしていた1000人の帰依者にダルシャンを与えられました。夜には、多くの要人、医師、実業家たちと会われ、霊的な質問に答えられました。中の一人が「この世にはなぜこれほど多くの悪が存在するのですか?」という質問をした時、スワミは「この世に悪は存在しません。悪を見るのは心(マインド)です。暗闇はそれ自体では存在しません。それは、ただ光がないというだけのことです。」とおっしゃいました。また別の質問に対する答として、「欲望は惨めさの最大の原因です。もし自分の欲望を調べてみれば、その人は、より少ない物でより快適に暮らせることが容易にわかるでしょう。」とおっしゃいました。「身体にそうするように、心にも食事を与えなさい。決まった朝食として瞑想を、昼食にバジャンを、お茶の時間には霊的な読書を、そして夕食にはナーマサンキールタン(神の御名を歌うこと)を与えなさい。」とスワミは助言されました。

グル プールニマーの祝福


7月7日の朝、バガヴァンはバジャンの行われている中、ダルシャンを与えられ、多くの人にインタビューを授けられました。夜には、カンパラにおいて、初めての一般大衆に対する御講話をされました。すべての宗教、文化、国民の一体性を基盤にした御講話の中で、バガヴァンは「人間の身体の中で同じ血液がすべての手足を循環しているように、一つの神の原理が宇宙全体に作動しています。数珠の珠は無視して、永遠に存在する(珠を繋ぐ)糸を一本化することを熟考しなさい」とおっしゃいました。この心にしみるメッセージは、回教徒、キリスト教徒、仏教徒、ヒンドゥー教徒の皆から熱烈に受け入れられました。バガヴァンはこれと同じ主題の御講話を8日にもう一度なさり、神の御名の甘露のような甘さについて語られました。

9日の朝のバジャンの後、バガヴァンはナイロビをはじめとする、ウガンダとケニヤの市や町から来た代表団とお会いになりました。バガヴァンは霊性修行としての奉仕活動について説明され、ウガンダ、ケニヤ、タンザニアにおいて、シュリ サティヤ サイ セヴァ サミティー(シュリ サティヤ サイ奉仕団体)を創設し、カンパラにその本部を置くようにと指示されました。

7月10日、この吉兆なるグル プールニマーの日に、2万5千人以上の人々がバガヴァンに対する賞賛と尊敬を表しに集まりました。バガヴァンは2時間以上かけて群衆の隅々まで足を運ばれ、一人ひとりにお菓子とビブーティの入った小袋を手渡されました。多くの人々の小袋の中には、キリスト、十字架、クリシュナ、またはサイババ御自身を描いた七宝や金属でできた肖像が入っていました。インドとアフリカ双方の帰依者たちが、バガヴァンに対して愛と帰依を表している様子は大変感動的なものでした。

7月12日、バガヴァンとその随行団は、午前6時30分に三台の車に分乗し、マーチソン瀑布国立公園に向かわれました。二台目の車が事故に遭いましたが、乗っていた人々はすべてバガヴァンの恩寵によって救われました。カストゥーリ教授は一番ひどい怪我をしました。この車に乗っていた人たちはタクシーでパラ サファリ ロッジヘと向かい、そこでバガヴァンは皆にビブーティを物質化し、塗り薬と錠剤を作り、痛むところをやさしく押さえて下さり、数分後には皆元気になりました。バガヴァンの一行は、その後、ナイル河をモーターボートで上流へ24キロ以上遡った所にある、マーチソン瀑布へ向かいました。途中、何千というワニやカバの側を通り過ぎ、3時間に亘る楽しい船旅は忘れることのできないものになりました。バガヴァンは午前1時にカンパラに戻られました。そこには何千人もの人が集まり、バジャンを歌っていました。バガヴァンはその様子に感動され、長い間、装飾された玉座に座られ、ダルシャンを待ち望んでいた人々の渇きを癒されました。

ムンバイに帰国


7月13日、パテル博士のバンガローの周りには何千人もの人が集まりました。午前8時から10時までバガヴァンは人々の中を回り、すべての人に恩寵を与えておられました。バガヴァンはバラの花束を受け取り、グループ写真を撮るためにポーズを作り、彼らの質問にも答えておられました。夜のバジャンでバガヴァンは、いつもより長くダルシャンを与えられ、多くの病人は病気が治るビブーティという貴重な贈り物を受け取りました。

7月14日の夜明け前、カンパラの人口のおよそ半分がパテル博士のバンガローの門の前に集まり、バガヴァンにお別れの挨拶をしました。バガヴァンの乗った飛行機は、午後1時にエンテベを出発し、2時30分にナイロビに到着しました。ナイロビでは何千人もの人たちが午後1時から待ちわびていました。ババは群衆に手を振ってムンバイへ向かう便に乗りこまれ、午前0時45分、サンタクルーズ空港に到着されました。ここでは、1万人の帰依者たちがスワミに温かい、愛のこもった歓迎を捧げました。

7月15日、ババ様はムンバイにあるダルマ クシェートラ(ムンバイにあるババの施設)において、巨大な群衆の前で講演をされました。バーラティヤ ヴィッディヤー バヴァン(インドの伝統文化を教える学校)の創設者、K.M.ムンシ博士が司会を務めました。ムンシ博士は喜びと感謝の涙を抑えることができず、「私は、自分の周りで神への信仰や宗教に対する誠実さが急激に退化しているのを見て、心を痛めていました。この古代から伝わる国の未来を考え、絶望の縁に立っていました。しかし、バガヴァン シュリ サティヤ サイババとお会いすることができ、バガヴァンが何億という人々の心を変容されるのを見て、私は励まされ、幸せになりました。バガヴァンは必ずこのインドを、再び本来のインドとして建て直してくださるでしょう。そして、この過程を通じて、バガヴァンは神への信仰と宗教を世界中に広げられることでしょう。私はバガヴァンに服従と尊敬の念を捧げます」と述べました。バガヴァンは御講話の中で、御自身の東アフリカ訪問を、宇宙という広い神の館の中での一つの部屋から別の部屋への移動、と表現されました。「私はどの国においても外国人ではありません。私は地球上のどこへ行こうとも、そこの原住民なのです。」 ババは人種差別と憎しみはすべて、人間の基本的な兄弟意識への無知から来るものであるとおっしゃっています。「エゴの眼鏡を通して見るとき、しばしば多様性と間違えられるこの真理、この一体性を伝えるために、私は東アフリカへ行ったのです。」とババは言われました。

インドラル シャーとサルラ シャー

Sanathana Sarathi 2010年11月号、御降誕85周年特別号より



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