御降誕祭2015年

2015/11/23

90周年 御降誕祭特別プログラムの報告です。

ヴェーダ・バジャン・サイ ガーヤトリー マントラ
 はじめのヴェーダ吟唱からバジャンまで、プロジェクターでプッタパルティでの御降誕祭の映像を映しました。スワミのダルシャン映像は、会場の雰囲気を大きく変化させます。
 ヴェーダ・マントラ練習では、「サイ ガーヤトリー マントラ」の発音練習を行い、「サイ ガーヤトリー90」プロジェクトの最終日として、マントラ108回の吟唱を行いました。普段一人でマントラを唱えている人にとって、サットサング(よき仲間)と共にマントラを唱えることができる機会は、今の現代社会において何物にも替えられない貴重な宝物のように感じました。大きなサイセンターでは、数十人から数百人で唱える機会があります。一方で小さなセンター・グループでは数人、少ない時は2、3人ということもあると思います。たとえ少人数でも、サットサングと共に唱えることの価値をあらためて感じました。

体験談スピーチ セヴァ(奉仕活動) 東日本大震災関連および茨城県常総市大水害
 体験談スピーチでは、SSIOJ全国奉仕世話人の方から、セヴァ(奉仕活動)についての多くの体験を基にした、サティヤ サイの御教えについての言葉をたくさんお聞きすることができました。東日本大震災については、発生直後の活動から、4年を経た今年(2015年)に実施した活動まで、被災された方の生の言葉を聞きながら、サイのセヴァの意義について考えることができました。そして、今年発生した茨城県常総市大水害における、泥の運び出し作業の体験談では、想像を超える現場の困難さが印象に残りました。そして、セヴァに関わる人の心の純粋さは、その困難さと対照的に感じました。

御言葉かるた大会・全員合唱
 90周年御降誕祭を記念して埼玉センターで作成した「御言葉かるた」を初めて実演しました。当初検討していた対象年齢は小学生から大人だったのですが、直前に生まれた一つの工夫により、まだ字を読むことができない就学前の子どもも参加し活躍することができました。子どもはもちろん、大人も熱中してしまいました。今後、さらにかるたの種類を増やしていきたいと考えています。
 全員合唱では、唱歌「ふるさと」と、そのメロディで作られているバジャン「幸せでいなさい」を続けて合唱しました。「ふるさと」を歌ってみて感じたことは、身体にしみこんでいる歌にこもる思いの強さです。この歌が体にしみ込んでいる世代の人は、幼いころから何百回と歌ってきた曲です。1曲のバジャンを繰り返し練習し、バジャンが血となり、肉となるという目標のイメージを、合唱を通して再認識することができました。

スタディー サークル テーマ「愛は源 愛は道 愛はゴール」 
資料書籍:プレーマ ダーラ サティヤ サイ ババから学生への書簡集、プレーマ ヴァーヒニー (邦訳『信愛』)

書籍『プレーマ ダーラ 愛の流れ』は、スワミから学生への手紙の文章であり、テーマのプレーマ(愛)を体験させてくれる多くの言葉がつづられています。そして『プレーマ ヴァーヒニー』は、ヴェーダの英知をバガヴァン自らが書き示してくださった本です。この2冊から資料を集め紹介しながら、参加者からは多くの体験談や言葉をいただきました。プレーマ ヴァーヒニーのP92には、4段階の解脱(ムクティ)が説明されていました。4つ目の「サーユッジヤ ムクティ」は、神に融けて一つになることであり、プレーマ ダーラの詩の最後の部分の理解が深まりました。また、よく唱えられるヴェーダ「ナーラーヤナ ウパニシャッド」の中でもこの言葉の一部が唱えられており、ヴェーダの日本語訳を読むとなるほどと思うものでした。今回取り上げた『プレーマ ダーラ』の手紙をこの後に紹介しますので、ぜひご覧ください。

ガーヤトリー マントラ吟唱・バジャン・アーラティ・
御降誕祭プログラムのしめくくりとして、ガーヤトリー マントラを唱えた後、バジャン・アーラティを捧げました。プラサーダムが配られ、90周年の記念すべき御降誕祭がお開きとなりました。

『プレーマ ダーラ 愛の流れ』
サティヤ サイ ババから学生への書簡集P2-5

父なる神より

愛しい愛しい 愛する者よ
あなたは尋ねます
あなたのそばに「私」がいるとき
どうすればそれがわかるのでしょうか と

すべてが熱く静まり返る
蒸し暑い夜に
あなたの頬に触れる
最初の冷たいそよ風
私があなたを撫でているのです
私を思いなさい

飢えの苦しみが癒され
孤独の闇を貫いて 幸せが訪れるとき
私を思いなさい

渇きで話すことさえできないあなたを潤す
一口の冷たい水
私があなたを慰めているのです
私を思いなさい

赤子が初めて目を開いて微笑み
死の雲が消え去るとき
私を思いなさい

私があなたの顔に雨の雫を降り注ぎ
大地や茶色い枯葉を洗う
清らかな雨の匂いに気づくとき
私があなたを清めているのです
私を思いなさい

苦痛が薄れ
恐れが消え去るとき
私を思いなさい

日々の過酷さに
迷いなき瞳も恐れおののくとき
あなたは静かに沈む夕日に気づき 眺める
私があなたを慰めているのです
私を思いなさい

次に あなたは尋ねます
あなたが「私」のそばにいるとき
どうすればそれがわかるのでしょうか と

灼熱の太陽が
あなたと大地を焦がす
砂と埃があなたの目を荒らし
わずかな日陰さえ 見当たらない
それでも あなたは私を愛しています

孤独を感じ なおかつ飢え
何一つ満たされることがない
それでも あなたは私を愛しています

唇はひび割れ
舌が土のように固まる
喉は干上がり
どこにも水はなく
蜃気楼さえ見当たりはしない
それでも あなたは私を愛しています

すがるような目で見つめる死にゆく子どもを
あなたが抱きしめる
それでも あなたは私を愛しています

私が海をかき混ぜ 三日月のような波が立つ
深い波間 であなたが木の葉のようにもがくとき
それでも あなたは私を愛しています

苦痛が耐え難いものとなっても
あなたは微笑んでいる
あなたは私を愛しているのです

あなたが最も大切にしているものを 
私が取り上げるとき
あなたが視力を失い
暗闇があなたを取り囲む そのとき
それでも あなたは私を愛しています

なぜなら、あなたが見るもの聞くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるもの、そのすべてが私のものだからです。すでに私自身であるものを、どうして私に捧げることなどできるでしょう? あなたの愛を捧げる以外には。その愛、それは、時が流れ始めるより前に、あなたのただ一つの所有物として私が与えたものなのです。あなたがそれを私に返すとき、私は、あなたが本当に私のものであることを知るでしょう。そして私は、あなたの悲しみも幸せも私の中に融けこませます。その愛は…私自身です。それゆえ、私はあなたを永遠の至福の中に置きましょう。なぜなら、私は絶えずあなたのことを愛し、思っているのですから。

あなたを最も愛するあなたの父より

2015年11月23日|ブログのカテゴリー:2015