マレーシアにおける献血セヴァの報告

2006年2月10日〜11日

昼のムルガー神長年にわたって、サティア・サイ・オーガニゼーション・マレーシアはタイプーサムの祝日(スッブラマニアム神に捧げる偉大な祭典のひとつ)に献血の奉仕とバジャン会を企画、実行してきました。しかし、今年は、目を見張るようなすばらしいことが起こりました。

サティア・サイ・オーガニゼーション・マレーシアは、人々の命を助けるためにムルガー神(スッブラマニアム神の別 名)に祈りながら「液体の愛」の寄贈を行うことを帰依者たちに促す「液体の愛・寄贈プログラム」と並行して、マレーシアに住むインド系のプロの歌手の第一人者たちによる36時間ノンストップ・ディヴォーショナル・ソングという巨大な祭典を企画しました。

深夜も続く愛の献血マレーシアの血液銀行は80以上のベッドを用意しました。目標は2006パイント(約1003リットル)の血液で、もしこれが達成できれば、マレーシアにおける一回の催しで単一のNGOが行う献血活動の最も長い時間(33時間)連続して行われる記録を打ち立てることになると同時に、間違いなく一つの催しでNGOが提供する献血量 の最高記録も塗り替えられることになる、と血液銀行の方が言っていました。私たちの青年部員や大人のメンバーたちの何人かは48時間以上もそこにいました。

夜のムルガー神スッブラマニアム神へ捧げる大きなタイプーサム祭が開催された、イポー、ペナン、ジョホールバールの3つの都市においても、サイのグループによって同じような液体の愛の催しが行われました。
 この献血の催しの共同スポンサーであった主要ラジオ局の一つは、4カ所のセンターをつないで、催しに何らかの進展があるたびに実況中継を行いました。

マレーシアでは、中国のお正月と同時期にイスラム教の主要な祭典があり、その5日間の連休が終わったところでした。この連休には、皆が旅行に出かけ、交通 事故の数は記録的に跳ね上がり、多くの死者と、輸血を必要とする何千人もの負傷者が出ます。この期間、血液銀行の血液は完全に底をつき、どこの病院でも、絶望的な血液不足に陥ります。輸血を必要とする人々の大半はマレーシアの人口の90%を占めるイスラム系と中国系の人々です。スタッフのほとんどがイスラム教徒である国立血液銀行を駆り立て、インド国外では最大のヒンドゥー教の催しのひとつであるこの祭典を訪れさせたのは、こうした悲壮なまでの血液の需要でした。彼らは、医師や看護士のチームでベッドを設置し、35時間近くにわたって捧げられた液体の愛を集める作業に交代で携わりました。

献血の列に並ぶ人々人命を救うという最高の形の慈善を促す帰依の歌が歌われる一方で、だれもが暑くて疲れていながら献血の列に並ぶ大勢のヒンドゥー教徒たちの中で、イスラム教の看護士や医師を見るのはすばらしいことでした。世界中のイスラム社会が武器を取り、多くの出来事に怒りを掻き立てられ、一部の人々からは非常に否定的に見られている現在において、それは、通 常では決して見られない、一体性、純粋性、神性に満ちた光景でした。

タイプーサムのサイ ステージニュースでは130万人が参加したと報じていましたが、私は数えていたわけではありませんし、この数を立証することはできません。うごめく人間でごった返す群衆の真ん中に設けられた巨大なステージの上には、バガヴァン・ババの巨大な写 真が飾られ、マレーシア在住の代表的なタミール語の歌い手たちが帰依の歌を捧げていました。一人の著名な盲目の歌手は、ステージ上に座って、8時間もしくはそれ以上の時間にわたって、キーボードを弾きながら帰依の歌を歌いました。その歌手は、トイレや食事に立つこともなく、口にした物といえば私が無理にすすめた粥状のシリアルと少量 の水だけでした。

この出来事すべては、何万人もの帰依者がサイのヒルビュースタジアムにおいて、カリユガのアヴァター(神の化身)のダルシャンを待ち望み、インドの最高の音楽家たちが帰依の歌を捧げている情景を思い出させました。違っているのは、ヒルビューでは帰依者たちが完全に規律を守って統制が取れていることと、荘厳なカリユガ・アヴァターの「物理的な(肉体をとった)存在」がある点だけです。

愛の献血は次のとおりです。

バトゥ・ケーヴス:液体の愛2330パイント(約1102リットル)
イポー:56パイント(約26リットル)
ジョホールバール:66パイント(約32リットル)
ペナン:242パイント(約111リットル)
マレーシア全国でのタイプーサム祭における愛のサイ・セヴァの合計:2694パイント(約1274リットル)

バトゥ・ケーヴスの夜景この催しはあまりにも広大で感動的であり、想像を絶するものでした。ラジオ局では、出演した歌手たちが皆、サイ・ババの帰依者たちがあらゆる地域社会に住む人々の命を救うためにどんなことをしているかを話し続けていました。
 サイの青年部メンバーたちは、この催しを1980年代初頭に比べると信じられないレベルにまで引き上げました。そのころは、私が5、6人、多くても10人の青年と共に行かなければならず、私の車が唯一の交通 手段でした。自分たちで掘っ建て小屋(献血場として使う場所)を造り、サイバジャンのテープを売って、歌を歌い、疲れれば車の中で寝るという三日間でした。トイレの設備の話はしないでおきましょう。
 今ではこの催しはあらゆる方面からの支援を得て、想像できないほどの規模になりました。場所を貸している地方自治体は、広大なコンコースを無料で使わせてくれました。多くのVIPが訪れ、感動して、どうすれば私たちの努力に協力できるかを尋ねながら帰って行きました。
 この催しはローカルのラジオ局との共催で行いましたが、このラジオ局はこの催しに関するニュースを延々と流し続けていました。マレーシアの代表的な英字新聞である「ザ・スター」紙は、2月12日の日曜日に、タイプーサムの祭典について全面 記事を載せました。
 祝日の期間、多くのNGOがさまざまな奉仕活動を行いましたが、この新聞で特に取り上げられていたのはこの記事だけです。

100%ヒンドゥー教の催しにおいて行われたサイ・セヴァ(サイの奉仕)が、命を救うことによって人々を助けるという共通 の目的のために宗教(中国仏教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒)の一体化を実現したのです。
 この催しに参加して献血した人の多くは、初めて献血を行った方々であり、祈りと帰依の歌と奉仕が一つに合流して、すばらしい流れとなっていることに深く感動したために、神と人への奉仕としての液体の愛を捧げたのです。命を救おうとして呼び覚まされた人々の帰依心に感動したのです。彼らは自ら名乗り出て、帰依と愛の心で献血をしました。そして、人命を救うため身体から血液が採取されるにつれて、休みなく歌われている帰依の歌によって、エネルギーが再び充填されていったのです。
 私は、サイの兄弟、神の帰依者(または帰依心を得ようと精進している者)として、皆さんにこの催しの経緯を伝え、喜びを分かち合いたいと思います。

J.ジャガディーサン
サティア・サイ・オーガニゼーション・マレーシア・アドバイザー

翻訳:サティア・サイ出版協会