Special Talk  
 

ジェームス・D・シンクレア氏の講演

ワールドスペース「サイ・グローバル・ハーモニー」 2002年4月3日放送
於:SSSIHL(サイ大学)

 
  Pink Line  
 


<シンクレア氏の紹介>
オーム シュリ サイラム
尊敬する諸兄の皆様、親愛なる兄弟の皆様。

 今朝、私達は、大変著名な方を講演にお迎えしております。その方は、採鉱地予想の分野において非常に有名な実業家です。そして、ここ数年来、バガヴァンのもとにその霊的指導を受けに来られている方でもあります。その方は、ジェームス・D・シンクレア氏です。シンクレア氏は、ペンシルベニア大学のワートン・ビジネス・スクールで学位 を得られた後、1975年にシンクレア グループの会社(the Sinclair Group of Companies)をいくつか設立され、社長および最高経営責任者(CEO)に就任されました。その後、1981年には、ジェームス・D・シンクレア財政調査研究所(the James D. Sinclair Financial Research Institute)を設立され、その所長及び最高経営責任者に就任されました。またその後、シンクレア氏はテレビ業界と遠距離通 信業界にも関心を寄せるようになられ、1978年には全国ケーブルテレビ会社(Cross Country Cable TV)を共同設立されました。現在、彼はタンザニア・アメリカ開発会社(the Tanzanian American Development)の会長及び最高経営責任者を務めておられます。なおこの会社は現在、東アフリカにおいて鉱物資源が豊富と見込まれる約2000平方マイルの土地を開発しています。

 シンクレア氏は、様々な人々によって様々な名前で呼ばれています。彼の共同経営者達は彼を「一風変わった人」と言い、また、実は私はこの表現がシンクレア氏を非常に適切に表現していると思っているのですが、フォーブス誌12月10日号では、氏は「群集のなかで容易に際立つ人」と述べられています。シンクレア氏の人格は、多くの人々の中でも際立つ人として、常に彼を目立たせるのです。彼の静かな振る舞いによるものであれ、あるいは彼の人格によるものであれ、彼はいつも深い物思いに深く浸っているという印象を人に与えます。恐らく、今日の講演の中で私達が興味を抱くのは、彼がバガヴァンと会ったときのお話や、バガヴァンに関する体験談、それからもちろん、私達全員にとって役に立つ彼のアドバイスでしょう。

 それでは、シンクレア氏をお迎えしたいと思いますが、その前に、私の記憶にはっきり残っているエピソードを一つご紹介させてください。これはコダイカナルで起こった出来事です。バガヴァンがダルシャンを終えられ、建物の中で待っておられる時でした。9時15分ごろ、誰かが外側の部屋に到着したのですが、その人はそこをうろうろするだけで、部屋には入って来ませんでした。中の部屋で座っていた人達にも、誰かが来たことは分かりました。そして、部屋の中のカッコウ時計がちょうど10時を打った時に、ドアが開いてシンクレア氏が入ってきたのです。するとスワミが彼を見てこう仰いました。「時間に正確と言うのは、こういうことを言うのです。彼は9時15分に着いたにもかかわらず、私が彼に10時に来るようにと伝えていたので、10時になるまで待ってから中に入って来たのです。」これが、きちんとした人に特有の几帳面 さですね。そして、これがシンクレア氏のお話から私達が学べることのうちの一つでもあると思います。では、シンクレア氏にお話しいただきましょう。シンクレアさん、どうぞ。 (拍手)


<講演>
 サイラム、兄弟の皆さん。
  実際、あなた方はみな兄弟です。いくぶん年取った肉体を持っている人もいれば、いくぶん若い肉体を持っている人もいます。しかし、実際、どこに違いがあるでしょうか? 私達の愛するスワミの御足までの長い道程の中で、あなたが今どこにいるかといったことは、この一生という尺度の上では、大した違いではありません。みんなで少し祈りましょう。私の語る言葉がスワミの御言葉となりますように。このメッセージが神のメッセージとなりますように。そして、特に、この神聖なホールで語られるこのメッセージが、神の住む場所であり、私達を包み、私達と共にあり、私達を支える、静寂という場所で聞かれますように。その静寂という場所に住み給う神は、私達に意味・方向性・目的・価値・自信をお与えくださり、私達が神の御足にたどり着くことによって初めて達成できる成功をお授けくださるのです。アーメン。

 皆さん。あなた方は、この地球上あるいは天界や全宇宙などすべての場所で、いかなる方法でも、どこにおいても、これまでに存在したものの中で、最も素晴らしく、最も強く、効果 的で、実践的で、現実的で、最も有益な財産を持っています。なぜならばこのような意味で、自信とは、私たちが生まれ合わせているこのときに、この地球という惑星において、まさにこの場所で、化身として降臨されている、偉大なる神我を信じるということだからです。その化身は日々いつも私達に話しかけてくださり、あたかもそこには誰か一人の人物がいるかのように見えますが、実のところ、完全にして絶対の、完璧な神格が、私達皆を支え、教え、指導し、与え、愛し、面 倒を見て下さるために、ここにいらっしゃるのです。そして、私達が人生において、どこへ行こうとも、どんな役割を演じようとも、どんな危険を冒そうとも、何に着手しようとも、最も力強く最も素晴らしい完全な存在が、私達の内におられ、私達の周りにも、上にも、下にも、そしてまた、あらゆる方角にいらっしゃるのだということを、少し考えてみてください。そう考えたならば、何かを恐れるなどということが、はたしてできるものでしょうか? あなた方が自分の本当の姿を知っていたら、危険を冒さないなどという不名誉なことが、どうしてできるでしょうか? あなたが信頼する自己というものが、あなたに話しかけたりその椅子に座っていたりする一人の小さな人間ではなく、大いなる神としての自己であれば、どうして自信が持てないなどということがあり得るでしょうか?

 はっきり申し上げておきますが、私は何もしていません。私は、実業界の動きを正しく予知する偉大な人物でも、何でも知っているCEOでもありません。私があなた方に言えるのはこれだけです。それは、神に集中し、行動すれば、決して失敗することはないということです。失敗するはずがないのです。もしあなた方がそこから一歩踏み出して敢えて神に集中して行動するというリスクを冒すならば、世間の人はあなたを最も活動的な人と見るでしょう。過去のことは忘れ、未来のことを思い悩むのをやめましょう。社会があなた方にどうあるべきか期待する、その枠に自分自身をはめこむことをせず、あなた方が知っている、自分自身の本当の姿になりなさい。あえて神のごとくありなさい。私はインタビュールームの中で、スワミが、ちょうどその時外で歌われていたバジャンをお聞きになって、「彼らは自分達が神であることを知らないのだろうか?」と仰るのを、耳にする幸運に恵まれたことがあります。堂々と、あなた方の真の姿はこうであるとスワミが仰る、その姿になりなさい。あなた方は単なる「歩く神殿」ではありません。あなた方は、スワミが教えられるそのすべてなのです。またその原則に基づいて、ビジネスにおいてすべきことと人生においてすべきことは全く同じであるということを理解してください。違いは何もありません。あなた方が人生において行うことや家ですることは、あなた方が仕事場ですることと全く同じです。具体的な職業が何であれ――教師、技術者、医者、ビジネスマン、あるいは私のように冒険的な職業に就いても―― 一つ一つの行い、思考、会話、契約、交渉、人間関係、経営のすべては、たった一つの場所から来るのです。ものごとがこうも簡単なものであることに注目してください。それを複雑にしないでおきましょう。「私に集中し、行動しなさい」と、サイ・クリシュナはアルジュナに教えました。私達の最愛のサイは、あなた方にも、私にも、そのことを教えておられます。そうすれば、恐れがなくなります。唯一のテロリストは、エゴです。テロリズムに対抗する力が、神性です。私たちが邪魔さえしなければ、まったく自由に神の力を利用できるのです。スワミを見つけることは、スワミにあなたを見つけていただくことです。皆さんは、誰しも静寂を体験したことがあるでしょうが、その静寂を探し求めるということは、何もしないことです。それは、素晴らしいことが起こるのを阻止しないようにすることです。もし私が時折思案に暮れているように見えたり、あるいは自分の内に引きこもっているように見えたりする時があれば、それは、私が神なる自己の内に浸っている時なのです。皆さんは、自分自身の人生を、客観的な尺度から測りますか、それとも自分自身の内なる声に耳を傾けますか?

 実際、いろいろなことが起こります。ここ数日の間にも、出資者との間にちょっとした変革がありました。私は仕事柄、人々の懸念に対処しなくてはなりませんでした。というのも、一部の人の経験では世の中は必ずしも快い環境ではないので、そういった人達は他人が自分達に何をするかを恐れているからです。しかし、私は固く、完全に、徹底的に、全面 的に、経営についての絶対的な理論、すなわち絶対にもとづく経営を信じています。従って、私は、人を騙したり嘘をついたり盗みを働くようなことなどは考えもしませんし、そのようなことをするほど愚かでもなければ、それを平気でできる神経も持ち合わせていません。ですから、私は、出資者の利害を、自分の利害に優先させるという原則に基づいて行動するのですが、だからといって、私がそのようにしたということを宣伝して歩くようなことはしません。そうして、ここ2,3日の間に表面 化したような問題が起こってくるのですが、その問題とは、出資者がこの月曜日にある主要鉱業会社と交わすことになっていた重要な契約について、私が彼らの利害よりも私自身の利害を優先させるのではないかと出資者が心配したことでした。そこで私は、彼らに対し、「これがその書類で、これが私達のしたことです。それからこれらは契約上あなた方に説明する必要はないことですがお見せします。それと、あなた方の利害は私達の利害よりも優先されていますから、現に、支払いは会社すら通 さずあなた方に直接支払われるのですよ。」と詳細を明らかにしました。すると、出資者の何人かが、彼らへの配慮がきちんとなされているという事実に畏敬の念を表す、という結果 になりました。つまり、ここに東アフリカの保守的なイスラム教国の出資者と交渉しているアメリカ人がいて、その出資者たちは、自分たちの利害について配慮がなされていないのではないかという極度の心配に陥っていたのですが、サイの世界においては何の差別 もなくすべてが平等に扱われるということに気がついたのでした。

 従って、私の一つ目のメッセージは単純なものです:それは、自分を信じることです。たったひとつ危険なことは、自分を信じるという冒険をしようとしないことです。ナマステ(相手の内にいる神に対して行う尊敬を込めた挨拶)を理解すること、つまりインタビューをしてくださるスワミの内に宿る神も、あなたの内に宿る神も同じだと知っていれば、いったいあなたは誰に向かって話すのでしょうか? 何も心配する必要はありません。安心してください。そして、あなたが何者で、あなたには何が出来、あなたがそれをどうやって成し遂げるかは、事実としてあなたが一番よく知っているのです。社会生活を送る上でこれまで植えつけられて来た通 念とその事実がたとえ違ったとしても、事実を曲げてはなりません。そして、あなたが社会に出るに当たって、ビジネスにおいてすべきことと人生においてすべきことは全く同じであるということを、いっときも忘れてはなりません。そして、雇用者がこういうことをしていた、私はそれを見た、などと次々に言い出して、大げさな問答か難題のようなかけひきをしようとしてはなりません。ただ、行いなさい。正しい立場をとり、悪い事をせず、間違いを犯さず、自分のためにも誰のためにも、嘘をついたり盗みをしたり人を騙したりしてはなりません。誰を信じますか?会社ですか?政府ですか?新聞ですか?それともサイを信じますか? 私達の敬愛するババを信じたならば、あなたはその教えを信じたことになります。そして、その教えを実行に移しなさい。「私はこんな事をしています」と書いた旗をかついで回るようなことはしないことです。ただ、常に助け、決して傷つけてはならない、という言葉をあなたの基本原則にしなさい。威勢がいいだけの掛け声にしてはなりません。それから、成功とは何ですか? それを明確にしてください。あなたの宝は何ですか?あなたのボスは誰ですか?そして、あなたの銀行はどこにありますか?私の場合、スワミが私のボスであり、私の宝とはスワミを喜ばせることで、私の銀行はカルマにあり、私にとっての成功とは自分の義務を果 たすことです。覚えておいてほしいのは、成功とは手段の産物ではなく、サットヴァ(浄性、純性)に正しく結びついた結果 なのです。サットヴァは磁石です。適切な行い、正しい(ダルマにかなう)行い、原則に基づいた行動のすべてが、あなたに成功をひきつける磁石となります。裏工作でも、戦略でも、かけひきでもありません。あなた方本来の姿になってください。スワミが知っているあなた方本来の英雄になってください。皆さんがここにいるのは、決して偶然ではありません。これは間違いではありません。これは単なる無料教育の場ではないので、私も少しの間それに協力することにします。これは名誉なことなのです。皆さんは、神の特別 部隊なのです。また神性こそが、あなた方の内に永久に宿る特別な力なのです。そして、皆さんが戦う戦争といえばそれはエゴによって作り出された脅威に対する戦いであり、しかも非常に単純な戦い方があるのです。それは、思いをあなたの心に入り込ませないことです。というのも、それは、あなたの神殿に靴を履いたまま上がりこむからです。否定的な考えに駆り立てられてはなりません。あなたの心の中で、否定的な映画を上映してはなりません。良いもの、素晴らしいものを受け入れなさい。矮小で限定的なものを受け入れてはなりません。矮小で限定的なものが心の神殿に入り込んで来ようとしたら、立ち止まりなさい。その考えと戦わず、ただそれを見なさい。そして、その考えを無心に見つめながら、あの静寂を感じてください。

 「神に集中して行動する」ということは、何もしないことです。それは、素晴らしいことが起きようとするのを止めないことです。今まで、これ以外の教えはありませんでした。様々な時代がありました。様々な姿がありました。しかし、アヴァター(神の化身)はただ一人しかいないのです。そして、そのアヴァターはここに今おられます。そのアヴァターが私達にこう仰っています。「私とあなた方の違いは、たった一つしかありません。それは、私は自分が誰であるかを既に知っているのに対し、あなた方は自分達が誰であるかをこれから知るということです。」スワミは、1980年代後半のある時、私にこう仰いました。そして私は、これが最も実際的で、見事な、簡潔で、かつ価値のある教えであると固く完全に信じています。そして、この教えは、皆さんのものなのです。皆さんは、単なる大学生ではありません。皆さんは、この競争の激しい、大きく恐ろしい世間に放り出されて、当てもなく途方に暮れるわけではありません。皆さんこそが、宇宙に存在する力のすべてなのです。皆さんこそが、宇宙に存在する富のすべてなのです。自分の中に、何か欠けたものがあるでしょうか? 景気後退とは何でしょう? それは、誰か他の人の心の中にあることです。誰か別 の人に起きることです。私には景気後退は存在しません。私には不景気は存在しません。豊かさとは空気のようなものです。ただ、それを空気のように吸い込めばよいのです。

 私が、自分は何もしていないと言うとき、それは、私が活動の中に非活動を見るということです。そして皆さんもそれが理解できるようになることでしょう。さて、人々が記事などで私のことを大変競争的な人物のように言っていますが、これは言わせてください。私はそんな人間ではありません。もしあなたが、すべての言葉の背後にある静寂の存在を信じ、それ以上に、そしてそれと同等に、あなたが聴くすべてのものの背後にある静寂を信じるのであれば、あなたは、知る必要のあることはすべて、知る必要のある時に知ることになります。「聴く」ことを学んでください。誰かがあなたに話しかけている間に、それに対する答えを考えてはいけません。話す人の言っていることをそのまま飲み込みなさい。教授が話している間に、あるいはあなたの仕事仲間が話すのを聞く間に、黙ったまま頭の中で知的な議論を駆け巡らせなくとも、答えはやってきます。何か言われた後で、少しの間、1分間、または2分以上も沈黙したままでいなくてはならないとしても、それを恥ずかしがることはありません。その静寂には、全ての力、理由、行動、そして行動するための方法がすべて詰め込まれているのですから。そして日々、あの目に見えない扉から、あなたにも私にも宿るその静寂、そしてこの宇宙に宿る静寂が立ち現れてくるのです。ですから、どこに重要な問題があるというのでしょうか?

 今日私がお話ししたことから何かを得るのであれば、自信を得てください。「神なる自己(真我)」があなたの内に宿っていて、その真我は、全面 的にあなたの味方としてそこに存在しているのだということに自信を持ってください。「神なる自己」とつながるためには、その邪魔をしないようにすることこそが唯一の方法であり、邪魔をしない方法とは、黙って静かにすることです。聴くことを学んでください。聴くことを学ぶとき、またこの話題になりましたが、あなたは何もしていないのです。皆さんは、聞かなくてはならない声を聞くために、ボリュームを落とすのです。完全に信頼しなさい。そして、世界に出て、神のご意志が展開するままに任せなさい。その具体的な様子については何も意志しないことによって、それができるのです。私は、皆さんに目標や計画を持つべきではないと提案しているのでも、目的や人生における秩序を持たなくて良いと言っているのでもありません。実際ここには、以前に見たことがないような秩序を私は見ます。たとえば私は、靴が並んでいたり、人々が立っていたり、周到に準備されていながらも全く自然に見えるプレゼンテーションを見たりしていますが、それらすべてに、以前には見たこともないような秩序を見ることができます。そして、神は秩序立っており、心には秩序がありません。またここには、強制された秩序は見えません。自然な秩序が見えます。無理な緊張も感じません。 つまり、私に見えるのは、とてつもない包容力と潜在力であり、私は、その根底にある基盤こそがもっとも強いものであることを知っています。そして、今日私はあなた方に、私が人生において成功したと見えるものの秘密について分かち合えると期待していましたし、また実際そう出来たと信じてもいます。私は何も蓄積する必要がありませんし、結果 について何も思い悩む必要がありません。私には行動するという名誉が与えられているだけです。そして、静寂という基盤のもとに行動することは、世の中でもっとも簡単なことなのです。ですから、確かに、雑誌などの記事には、シンクレア氏は一風変わっているとか、人々に一匹狼だと言われている、などと書かれています。しかし、私が一匹狼のような振る舞いをするのは、会話が本当に不適切であって、静寂こそが心の休まる場所であり、愛に満ち、包容力があって、啓発的で、そして行動のための原動力となっている場面 においてのみです。私が何千人もの聴衆を前に話をしたり、大統領に対しても道端の乞食に対するのと同じくらい簡単に話したりするのを見て、あの人は一匹狼だからそんなことが出来るのだ、と人は考えるのです。しかし、それが一匹狼であるということだとしたら、それはとても奇異なタイプの一匹狼でしょう。私は自分が一匹狼だなどとは思っていません。私は、自分が絶対的な存在の足にしがみついていると信じています。私はまた、そこにいる時間を無駄 にすることなく、すべての瞬間を可能な限り活用します。そして、義務に応じて出てきて、なすべきことをするだけです。

 さて、実は私はあまりこの講演の形式をよく分かっていませんが、理事の方々にお尋ねしてみようかと思います。もし、皆さんが、今私がお話したことをお聞きになって、どうしても聞いてみたいという疑問をお持ちの方があれば、私からどのような話しをお聞きになりたいか、話の方向性を示してください。もし何か質問があれば、ここでお答えしたいと思います。将来のことについて、成功するということについて、ビジネスマンが世間一般 でどのように対処していくかということなどについてでも結構です。私の話の中で何かはっきりしなかった点などがあれば、この締めくくりの時間に、質問して頂けませんでしょうか? さて、何かご質問があればいただきたいのですが?…(間)…私はそれほど上手くお話ししたわけでもありませんので・・・(間)

 それでは、もし質問がないようでしたら、究極の答えを申し上げましょう。皆さんが何かショックを受けた場合、途方に暮れたと感じたとき、何かに居心地の悪さを感じたとき、そのような事態を心の外に追い出そうとしてはなりません。ただ、あなたがそこにあることを知っているあの静寂に、居場所を与えなさい。あの特別 な静寂、バジャンの時にベランダで耳にしたような静寂、静寂の瞬間や、ダルシャンの最中に感じたような静寂に、介在する余地を与えなさい。単純に知的な考察がない状態として定義される、その静寂が、そこに存在することを許しなさい。ちょうど問題がそこに存在するように、その静寂にも、そこに存在することを許すのです。そして、その問題への解決方法が皆さんに向かって、何ものにも止められない勢いを持って、決然と突き進んでくるのを感じてください。そうして、皆さんが、ただ単にスワミのなさり方の邪魔をしないでいることができただけだと知ってください。

オーム サイラム。
(拍手)

 

 
  Pink Line  
 

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