1998年平安の年

一 平安の探究 一

  

 世界をもとのレールの上へと引き戻さなければなりません愛と平安だけがこれを達成できますあなた方の思い言葉そして行為を愛と真理と平安で満たし奉仕活動に従事しなさい

 私たちは常に平安と慰めを熱望していますしかしそれをどこに見い出すのですか 私たちを取り巻く物質世界の中で見い出すべきものなのですか 経験は外界のものから得た平安や幸福は永続しないことを教えてくれますそれはまるで唇気楼の様です惑わされた動物がそこへ向かって走って行こうとも渇きを癒すことは出来ません平安の本当の源は各個人の中にあります真の喜びを与えることが出来るのはその内なる平安です聖者ティヤーガラージャは平安なくしては幸福にはなり得ないと歌の中で断言しましたどんな喜びや苦痛賞賛や非難利益や損失にさらされようとも全ての出来事において平常心を保つことを達成した場合にのみこのような平安を得ることが出来ます人は悪意や嫉妬や憎しみから引き起こされる非難に影響を受けるべきではありませんこのような非難に反応するなら人の心の平安は打ち砕かれてしまうでしょうもしその非難がもっともであれば自分自身を正すべきです悪意や嫉妬から来る根拠の無い非難は無視するべきです私たちは自分自身の善良な性質に忠実でいて平静さを保っているべきです

 サーダカ(霊性修行者全員が守っていく必要があり得ようと努力するべきものとはこのシャンティ平安ですそれは純粋な愛から生まれる香しい花ですそれは良い行いの結果として得られる芳香なのですこの高貴で香しい平安の特質を失ってしまったらあなたがたは人生の全てを失ったことになります はるか古いにしえよりこの国ではシャンティ平安の偉大さを示すために聖者や賢者たちが努力してきました彼らは非難され、笑い者にされ馬鹿にされ言葉で言い尽くせないほどの厳しい試練を受けましたしかし彼らは決して平安という支えを失うことはありませんでしたあなたがたはたとえ斧で切られても芳香を放つサンダルウッド白檀の木のようであるべきです線香に火がつけられればそれはひとりでに燃え尽きますしかしそれは辺り一面にその芳香を放ちますそれと同じように真のサーダカ真の帰依者はあらゆる状況下で完全な平安を保つことに気をつけるべきです辺り一面に幸福を広めるべきですこれこそが第一のサーダナ霊性修行ですサーダナを通して平安を得ようと試みなさい平安は外の世界からは得られません私たちの親類物質的な持ち物あるいは名声は私たちに平安をもたらしてはくれません平安とはあなたがたの内から湧き上がるものであり外界から集めるものではありません私たちは平安を欲しますが平安を与えることとはかけ離れたことをし続けており不安や心配を生じさせています些細なことが人の心の平安をかき乱しています真のサーダカは他の人の言ったことに動じないでいるべきです

 シャンティという言葉はあらゆる祈り儀式や供犠の最後に三回唱えられますこの背後にある意味とは何でしようか 最初のシャンティの意味は私たちが肉体の平安を得られますようにですその意味は肉体は嫉妬憎しみ執着や好みという感覚によって興奮するべきではないということですどんな知らせを受けようともそれを冷静沈着に受け止めるべきです二番目のシャンティは心に関係します誰かがあなたに対して何か真実でない事を言ったとしても興奮するべきではありませんあなたはただそれを何か自分とは関係無いこととして受け流すべきです怒ったり苛立ったりすれば心の平安を失ってしまいますあなたは自分自身に対して言うべきです。「誰かが真実でないことを私に言ったからといって何故私が心の平安を失わなければならないのだろうか?」自分の真理を貫き自分自身の本質に忠実であることを決意しなさい三番目のシャンティは魂の平安に関係しますこの平安は愛を通して実感されなければなりません世界をもとのレールの上に引き戻さなければなりませんそして愛と平安だけがこれを達成できますあなたがたの思い行為衝動を真理そして平安で満たしなさい私たちを憎む人がいるかもしれませんしかし彼らをも愛しなさいサティア サイ オーガニゼーションで活動する人たちは愛と平安の精神に満たされて奉仕活動に携わるべきです利己心や憎しみが存在する場所があってはなりませんどのような困難に遭っても意気消沈したり落胆したりするべきではありませんあなたがたは大胆に勇敢にそして熱心に社会への奉仕に従事しなければなりませんこれがサイが皆に求めることですこれがあなたがたの前にある理想です我慢忍耐平安愛を育みなさいそしてあなたがたの仕事を続けなさいこれがあなたがたの真のサーダナです9つのバクティの形には2つの必要不可欠な要素である愛と平安があります偉大なマハーバーラタの英雄ビーシュマはシャンティバクティの最高の模範です56日間彼は忍耐と平安を以ってあらゆる痛みに耐え魂を神にゆだねる吉兆の瞬間を待ちながら矢の床に静かに横たわっていたのです。   1985年12月9日の御講話より

(サティア サイ スピークスVol.18)


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