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サティヤ サイ ババ

サティヤ サイ ババ
1926年11月23日-2011年4月24日

「私は神です。あなた方も神です。私とあなた方の唯一の違いは、私はそのことを知っていますが、あなた方はそのことを全く知らないことです」

これはバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババが自らの真実の姿と神性について人々が尋ねた時に与える答えです。この人間の神性という根源的な真理は、ババのメッセージと使命の中心をなしています。実際、帰依者への講話で、ババは帰依者に向かって「神性アートマの化身である皆さん」と話しかけます。ババの純粋かつ無私の愛を体験し、その啓発的な助言の恩恵に与り、ババの奇跡的な天性を目撃した人々は皆、神の栄光と荘厳さを垣間見ます。そして、それゆえ、人は自分が潜在的かつ本質的に神であるということに気づかされるのです。

シュリ サティヤ サイ ババは南インド、アーンドラ プラデーシュ州のプッタパルティという村に、1926年11月23日にサティヤナラヤナ ラージュとして生まれました。ラージュの霊性と思索的な性質は、他の同年代の子どもたちとはかけ離れていました。ラージュは村の同輩や他の人たちの間では「グル」(導師)や「ブラフマグニャーニ」(神を知る者)と呼ばれていました。そして、1940年10月20日、初めて、ラージュは自分が神の化身であるという歴史的な宣言(アヴァター宣言)をしたのです。これ以降、ほとんど世界中にサティヤ サイ ババの神の御業が知られるようになりました。今日、世界中の、さまざまな信仰を抱く、さまざまな階層出身の何百万という帰依者たちが、神の化身として、またシルディのサイ ババの生まれ変わりとして、サティヤ サイ ババを崇拝しています。プッタパルティの村のそばに設立されたアシュラム、プラシャーンティ ニラヤムには毎日、何千という人々がババのダルシャンのために集まって来ます。そこでババは帰依者たちの間を回って、帰依者を祝福し、霊的な救いと慰めを与えるのです。

サイ ババはその降臨の目的について、長年にわたって組織的に崩壊してきた正義を世界に復興させ、また、神へと至るいにしえの王道を修復するために来たと語っています。それは自身の言葉でこう語られています。「このサイは、人類全体を一つの家族として同胞愛という絆でつなぐこと、宇宙全体が支えられている基盤である神性を明らかにするために、万物のアートマ真理(真我)を断言し光を照らすこと、そして、人が動物のレベルから脱却して神へと至るというゴールに到達することができるよう、人と人を繋ぐ共通の神聖な遺産を認識するようすべての人に教えること、という究極の任務を達成するためにやって来ました」。

バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババは二つの重要な役割を担う、完全な化身です。第一に、ババは偉大な霊性の師であり、世界中のすべての宗教の根源的な教えの根本を成している、最も偉大かつ最も難解な霊的真理をわかりやすく、やさしく明らかにすることで、よく知られています。バガヴァンは、その使命に関する説明をしたときに、こう宣言しています。「私は何らかの教義を破壊し妨害するために来たわけではなく、キリスト教徒がより良いキリスト教徒になれるよう、イスラム教徒がより良いイスラム教徒になれるよう、また、ヒンドゥー教徒がより良いヒンドゥー教徒になれるよう、それぞれが各自の信仰を確かなものとするために来たのです」。人が意義のある人生を送れるようにとババが説く基本原則は、サティヤ(真理・真実)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)そしてアヒムサー(非暴力)という五つの道です。これがこの病める世界に対するババの処方箋なのです。

第二に、ババは純粋な愛の尽きることなき宝庫というべき存在です。無料の病院、無料の学校や大学、無料の飲み水の供給、あるいは無料の家屋の提供といった、ババの数え切れないほどの奉仕活動のすべては、貧しい人々や恵まれない人々へのババの無私の愛と思いやりの証しとして存在しています。ババの宣言通り、「私の人生が私のメッセージ」なのです。人への奉仕は神への奉仕であるという理想を生きるという手本を自ら示すことによって、ババは世界中の何百万という帰依者たちを鼓舞して来ましたし、今も鼓舞し続けています。今日、シュリ サティヤ サイ オーガニゼーションは世界の167カ国にあり、会員たちは身近な地域社会に貢献するようグループでの奉仕活動を行っています。

広く蔓延する不安や悲しみを終わらせようと必死にもがいている世界にあって、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババは希望の灯火となっています。ババの「人を兄弟と思い、神を父と思う」メッセージは人類を無知の暗闇から不滅という光へと導く霊的な慰めとなっています。実際、このように神の力を持った方がこの地球を歩いているというのはきわめて稀なことなのです。ある帰依者がこう述べたことがあります。「バガヴァン ババは二本足で歩いている愛以外の何ものでもありません。人類はこの黄金の機会を利用してババの足跡に続かねばなりません。それこそが人類を救う、贖罪の道なのです」。

化身という概念 「化身とは何者か? そして、なぜ神が化身となったのか?」

神の化身とは何者か?

「化身」(アヴァター)とは至高の存在が人の姿をして現れる(肉体としての顕現)ことと定義されています。「化身」という言葉はサンスクリット語の「アヴァターラナム」に由来しており、「降りる」という意味を持ちます。通常これは、人間に絶対真理を明らかするために、また人間に自らの神性という天性を思い出させるために、神が人間界へ意図的に降りて来られることを意味しています。化身たちはそれぞれに違った姿で、さまざまな時代、場所や状況に出現しますが、皆、唯一なる至高神の顕現です。

この時代の化身、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババは、次のテルグ語の詩の中で、神の化身が降臨する意味と理由を簡潔に説明しています。

"Avatarinchuta yanutalo Arthamemi?
Janulapai Preethi Vaatsalya Paratha thoda
Vaari Sthaayaiki Daivambu Vachchu Bhuviki
Jeeva Prajnatho baatuga Daiva prajna"

ババは、姿形のない神が姿形を持って現れて地上に降りて来るのは、人々への限りない愛と親愛の情の表れである、と語ります。化身においては、人間の意識と神の意識が喜ばしくかつ不可思議な融和となっています。化身は人が親しみを感じることができるよう人間らしく振舞いますが、人が神の高みにまで到達することを熱望できるよう超人間的な高さにそびえ立っているのです。

「バガヴァッド ギーター」の中で、ドワーパラ ユガの化身であったクリシュナ神は次のように宣言しています。

実に、ダルマ(正法)が衰え、
アダルマ(非法)が栄える時、
私は自身を現わすのである。

バガヴァット ギーター4節7章

善人を救うため、
悪人を滅ぼすため、
美徳を確立するために、
私はユガごとに出現する。

バガヴァット ギーター4節8章

世界が霊性と道徳の危機を迎えているときはいつであろうと、化身が姿を現します。化身はダルマ(正義)を復興し、万人の意識を高く引き上げるためにやって来るのです。

なぜ神が化身となって現れるのか?

なぜ神自らが化身となって現れるのかと尋ねる人もいるでしょう。なぜ、神は自分の支配下にある下位の多くの神々や天使たちを通してダルマを復興させるという仕事に着手されないのか、と。ムガール帝国の皇帝アクバルが、かつて同じ質問を臣下たちの前でしたことがあります。というのもアクバルは、姿のない神が人の姿をまとってダルマを守るために化身として地上に降りて来るというヒンドゥー教の概念を馬鹿にしていたからでした。

数日後、アクバルが家族と共に、湖を帆走する専用の遊覧船に乗っていた時のことです。ビルバールがアクバル皇帝の幼い息子によく似た人形を船から投げ、同時に「ああ、王子が水の中に落ちてしまった!」と叫びました。これを聞いた皇帝はすぐさま息子を助けるために湖の中に跳び込みました。すると、ビルバールがそれはただの人形で王子は無事であることを明かしました。ダルマを危機から救うために、神は他の者たちにその仕事を委ねることなく自ら人の姿を取って現れるというヒンドゥー教の信条の真実を実際に教えるために、否応なく演じなければならなかったと説明して、ビルバールはアクバルの怒りを鎮めました。アクバルは船上にいた家臣の一人に、湖に飛び込んで息子を救うようにと命じることができたはずでした。しかし、アクバルの愛情があまりに深く、事態が切迫していたために、溺れている息子を救おうとアクバル自らが湖に飛び込んだのでした。ダルマの荒廃はとても切迫した悲劇であり、善良な人々に対する神の愛はとても深く、それゆえに、神御自身が救済に乗り出されたのです。

三位一体の化身サイ

神の神秘は、神自らが限りない愛と思いやりからそれを解き明かそうとされない限り、人間の心では理解することはできません。バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババは、1963年7月6日のグルプールニマーの日の歴史的な御講話の中で、その御降臨の背後にある秘密を明らかにされました。バガヴァンは、化身サイはシヴァとシャクティ原理の化身であるシルディ サイ ババ、シヴァ神とパールヴァティ女神の化身であるシュリ サティヤ サイ ババ、そして、シャクティ原理であるプレーマ サイとして、カルナータカ州のマンディヤー地方に降臨すると宣言しました。

少年時代においてすら、スワミは「シルディの聖者」のことを自分の仲間たちに教えた歌の中でよく取り上げていました。地域のほとんど誰も、シルディ、つまり、サイ ババのことを聞いたことも見たこともありませんでした。子どもたちの中心で、とても魅力的に歌ったり踊ったりしていたその少年が、その村を、同じババを求めて何十万という人々がやって来るもう一つのシルディにするなどということが誰に知り得たでしょうか!

シルディのサイ ババはガンガバヴァディヤとデーヴァギリアンマという夫婦のもとに、1838年9月27日にマハーラーシュトラのパトリという辺鄙な村に生まれました(1992年9月27日の御講話より)。父はその子が生まれるとすぐに、世俗に対する強い捨離の念にかられて森へ隠遁することを決意したのでした。デーヴァギリアンマは信心深く夫に従い、生まれたばかりの赤子は自然の手に委ねられました。捨てられた子の世話は、4歳になるまで、ある敬虔なイスラム教徒とその妻が見ていました。二人はその子をゴパールラーオ デシュムク(別名ヴェーンクシャ)という霊性の師に渡しました。1851年まで、ババはシュリ ヴェンクーシャのアシュラムにいました。1851年のある夜、ババはシルディにやって来ました。けれども2か月滞在しただけでそこを立ち去りました。ババは1858年に再びシルディへ戻ると、60年の長きにわたってそこに滞在したのでした。1918年にその限りある肉体を脱ぎ捨てる直前、シルディ ババは8年後にマドラス行政区に再び生まれ変わることを幾人かの帰依者たちに告げました。1926年に生まれたシュリ サティヤ サイ ババは、自らがシルディ ババの生まれ変わりであると宣言したのでした。

サティヤ サイ ババが自らのことを語るときは必ず「私の前の体」であったシルディ ババというふうに語ります。ババは、しばしば帰依者たちに、前世の体ではいかに人々と接し、どのような状況にいかに対処したのか、ある事柄の意味を明らかにしようとするときどのような説明をしたのか、どんなことを聞かれたのかなどといった事柄を語ります。シルディ ババの帰依者の多くが、二人のサイが一つであるという確信を持つような体験をしています。